
清涼山九品寺(穴文殊)
断崖絶壁の上に立つ曹洞宗万福寺の境外仏堂。もとは洞窟の奥に安置していた文殊菩薩を現在の地に遷仏したことから、穴文殊と呼ばれ、地元では文殊さんの名で親しまれる。毎年8月24日には穴文殊大祭が開催され、露店や花火・音楽などで賑わい、知恵を授かりに多くの人が参拝する。
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断崖絶壁の上に立つ曹洞宗万福寺の境外仏堂。もとは洞窟の奥に安置していた文殊菩薩を現在の地に遷仏したことから、穴文殊と呼ばれ、地元では文殊さんの名で親しまれる。毎年8月24日には穴文殊大祭が開催され、露店や花火・音楽などで賑わい、知恵を授かりに多くの人が参拝する。
ゆるい斜面に造られた庭は重森三玲の手による枯山水で、波心庭と呼ばれる。白砂と緑の苔が織り成す優美な曲線がなんとも魅力的。石柱は光明を表し、別名「虹の苔寺」ともいわれる美しい寺院。
嘉禎2年(1236)に建立された禅刹で、京都五山の一つ。境内は広く、日本最古の三門(国宝)、禅宗寺院様式の東司[とうす](トイレ、重要文化財)、堂本印象が龍を天井に描いた本堂などが立つ。本坊の庭園は東西南北それぞれ趣が異なり、苔と敷石とが市松模様になっている北庭が特に名高い。洗玉澗[せんぎょくかん]に架かる、通天橋[つうてんきょう]付近の紅葉もみごと。秋の拝観期間中は駐車場が閉鎖されているので注意。
皇室とゆかりが深く、御寺[みてら]と呼ばれる古刹。境内には狩野探幽作の天井絵などが見られる仏殿(重要文化財)がある。大門近くの観音堂には、唐の玄宗皇帝[げんそうこうてい]が楊貴妃の冥福を祈り造らせたという楊貴妃観音坐像(重要文化財)が祭られ、良縁や安産、美容に御利益があるという。
東福寺塔頭のひとつで、明徳元年(1390)創建。重森三玲が復元した九山八海の庭の中央には、熊本藩細川家から贈られた遺愛石がある。この石は寺領五百石を辞退した代わりに拝領したものという。もう一つの臥雲[がうん]の庭も美しい。また、日露戦争中、ロシア人捕虜を収容し、彼らが木や竹で作った楽器なども陳列している。12歳以下の拝観は不可なので注意。
平安遷都以前から祀られている古社。勝運のご利益があるといわれる。5月5日の藤森祭に行われる駈馬[かけうま]神事は、勇壮で多くの参拝者が訪れる。近年は馬の社として有名で、騎手をはじめ、競馬関係者や競馬ファンの参拝も多い。
全国で約3万社を超える稲荷神社の総本宮。商売繁昌、五穀豊穣の神として有名。二の鳥居をくぐると、天正17年(1589)に豊臣秀吉が寄進した朱塗りの楼門(重要文化財)がある。本殿(重要文化財)は、明応8年(1499)再興し檜皮葺き。本殿背後にある鳥居のトンネルをくぐれば奥社奉拝所。稲荷山への登り口である。高さ233mの山には、至る所にお塚があり、それを巡拝する「お山めぐり」は約4km、2時間ほどかかる。
『延喜式』記載の官幣大社(山陰道で唯一)、また、丹後一宮として格式を誇る古社で、社殿は伊勢神宮と同じ神明造。伊勢へ遷る前の天照大神〔あまてらすおおかみ〕と豊受大神〔とようけおおかみ〕が祭られていたことより、元伊勢と称される。4月24日には葵祭が行われ、太刀振りなどの奉納神事が神の御生れをにぎやかに祝福する。神門前の石段わきにある狛犬(重要文化財)は、作者の魂が入って天橋立の松原に出没していたのを剣豪・岩見重太郎に斬られ、以来、魔除けの狛犬として霊験あらたかと伝わる。
役行者が開き、最澄が再興したが、仁寿2年(852)に勝持寺と改名したと伝える。西行がここで庵を結び1株の桜を植えて吟愛したことから、この桜を「西行桜」と呼び、以後「花の寺」と親しまれるようになった。春は境内が桜で覆われる。本尊に薬師如来像(重要文化財)を祀り、近年まで預かっていた如意輪観音半跏像(国宝)は、東隣の願徳寺(料金:300円、2月のみ要予約)で拝観できる。
東福寺の塔頭であり筆の寺として知られる。毎年11月23日には、筆塚前で使い古した筆記具を護摩木にくべて感謝する、筆供養が行われる。
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