飛行神社
わが国航空界の先駆者である二宮忠八[にのみやちゅうはち]が、大正4年(1915)に全世界の航空殉難者の御霊を慰めるために建立。忠八はライト兄弟より早く飛行機の実用化を試みたが、軍の上司に却下されたという。境内には航空関係の資料館もある。
- 「石清水八幡宮駅」から徒歩5分
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わが国航空界の先駆者である二宮忠八[にのみやちゅうはち]が、大正4年(1915)に全世界の航空殉難者の御霊を慰めるために建立。忠八はライト兄弟より早く飛行機の実用化を試みたが、軍の上司に却下されたという。境内には航空関係の資料館もある。
ユーモラスな風貌の福禄寿を祀る。名前は「幸福」「俸禄」「長寿」に由来しており、三徳を招来し人生円満を授けると伝わる。境内には智証大師作と伝わる薬師如来を安置。
宮島、松島とともに日本三景の「天橋立」を眼下に望む景勝地に立つ寺院。慶雲元年(704)、真応上人が開基した西国三十三カ所霊場第28番札所の古刹。「願い事が成りあう寺」として有名で、境内には、江戸時代建立の本堂をはじめ、観音堂や鎌倉時代の形式で復元建築された五重塔などが立つ。悲しい言い伝えの残る撞[つ]かずの鐘や、本堂内の左甚五郎の作とされる彫刻「真向の龍[まむきのりゅう]」なども見逃さないように。背後には成相山パノラマ展望所があり、「天橋立」の絶景が楽しめる。
のどかな里山の景観に溶け込んで佇む。天武天皇の勅願で義淵[ぎえん]僧正が開基、聖武天皇の願いで良弁僧正が伽藍を増築したという。本尊の十一面観音立像(国宝)は天平16年(744)に安置。天平時代後期に盛んに作られた木心乾漆像で、華やかな天平の息吹を今に伝える。奈良・興福寺の別院でもあったため藤原氏の庇護を受けて隆盛したが、中世に焼失。現在は本堂(大御堂)だけがひっそりと立つ。
京都府南端に位置する木津川市の三上山中腹にあり、聖武天皇の勅願で良弁僧正が創建したという古刹。鎌倉時代建立の五重塔(国宝)は高さ18mとそれほど高くないが、初層に裳階[もこし]を付けた姿が珍しい。本堂の木造十一面観音菩薩立像(国指定重要文化財)は、貞観期の一木造の像で大らかな作風。11月上旬から12月上旬が見頃の紅葉も格別で、10月下旬~11月上旬の「海住山寺文化財特別公開」では、五重塔内陣・本堂内特別拝観のほか本坊庭園の公開もあり、紅葉に彩られた庭園の景観が楽しめる。
社伝によれば、創建は和銅2年(709)、延喜式内名神大社で丹波国一の宮。縁結びの神として名高い大国主命[おおくにぬしのみこと]と后神・三穂津姫命[みほつひめのみこと]を祀る古社で、島根県出雲大社の大国主命に御霊を遷した“元出雲”として知られる。足利尊氏が修造したと伝わる国指定重要文化財の本殿は、三間社流造の檜皮葺きで格式のあるもの。背後にそびえる御蔭山が御神体山であり、境内全体が神聖なパワーで満ちている。境内に湧出する御神水は、飲めば幸福を招き長寿になるとされる真名井の水。夫婦岩や磐座などみどころも多い。
本寺は天平年中(729~749)聖武天皇が安積皇子の冥福を祈って行基に開かせたもので仏法寺と称し、俗に幡寺と呼ばれていたという。往昔は寺領も多く仏法寺山に大伽藍を構えていたが、南北朝の内乱の際にしばしば武将の陣営にあてられ衰微していたが、江戸時代にはいり、如雪和尚を中興開山にむかえ、後水尾上皇・東福門院の帰依によって寺観を整え、正法寺と名を改めている。境内には大銀杏・山紅葉が多く、春の新緑、秋の紅葉の季節が好時節。山紅葉は滋賀県近江市 臨済宗大本山永源寺から移したものと伝えられている。
天長2年(825)に創建され、浦島太郎を筒河大明神として祭っている。境内の資料室には玉手箱をはじめ、浦嶋明神絵巻など、浦嶋伝説ゆかりの宝物を展示している。浦嶋明神絵巻の絵説きが好評だ。
全国にある愛宕神社の総本宮といわれ、元愛宕と呼ばれ親しまれている。鎌倉時代に建立されたという本殿は国指定重要文化財。祭神は火の神・火産霊命[ほむすびのみこと]と伊邪那美命、大国主命で、4月24日に斎行される鎮火祭が有名。
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