
興禅寺
黒井城跡の麓に位置する寺。もとは戦がない時に、城主が住んだ黒井城の下館。七間堀と呼ばれる水濠や高石垣に囲まれ、戦国時代の城主の館の面影を今に残している。後に、徳川3代将軍・家光の乳母で春日局となるお福が3歳までの幼少期を過ごしたことでも知られ、楼門前には春日局出生地の碑が立つ。お福の産湯井戸もある。
- 「黒井(兵庫)駅」から徒歩13分
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黒井城跡の麓に位置する寺。もとは戦がない時に、城主が住んだ黒井城の下館。七間堀と呼ばれる水濠や高石垣に囲まれ、戦国時代の城主の館の面影を今に残している。後に、徳川3代将軍・家光の乳母で春日局となるお福が3歳までの幼少期を過ごしたことでも知られ、楼門前には春日局出生地の碑が立つ。お福の産湯井戸もある。
禅の曹洞宗に属し本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年(1645)に建立された寺であり元禄事変後は、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。境内には、義士37回忌にあたる元文4年(1739)に建てられ、遺髪がおさめられていると伝えられる四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっている。赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財。新西国第31番、瀬戸内観音第7番の霊場である。
奈良の春日大社の分霊を祭った神社。能楽愛好家だった篠山藩藩主・青山忠良が寄進した能舞台があり、元旦には「元朝能翁神事」、4月上旬には「篠山春日能」が催される。例年10月の秋祭で丹波篠山市内を回る神輿や鉾山は地域の風物詩にもなっている。狩野尚信作と伝わる黒神馬が描かれた絵馬などが奉納されている絵馬堂も見逃せない。
廃帝となって淡路島に流された淳仁天皇が父親の舎人親王を祭るために創建したと伝わる。常隆山の頂上付近にあるアジサイや紅葉が美しいことで知られる。
康保3年(966)、性空[しょうくう]上人が開いた天台宗の古刹。西の比叡山とも呼ばれ、法皇や後醍醐天皇が行幸した。室町時代に築かれた摩尼殿大講堂・鐘楼・食堂・常行堂・壽量院など重要文化財も多数。西国三十三所第27番札所で、ロープウェイ山上駅から歩くと道が二手に分かれ、右が西国巡礼の表参道。坂道をしばらく行くと仁王門がある。山内で最も格式の高い塔頭寺院壽量院は、江戸中期の建物で寝殿造。院内で精進料理も味わえる。四天王立像(重要文化財)は大講堂に安置されている。
男山の中腹にある、姫路城主・本多忠政の嫡男・忠刻の妻千姫が建てた神社。社殿も美しく、敷地内には牛の像が鎮座し、撫でるとご利益があるといわれる。
室津開港とともに2000年前の昔から祀られてきた賀茂神社は京都上賀茂神社の御厨であった関係から上賀茂神社・下鴨神社とかかわりあいのある神々をあわせて六棟社殿に鎮座し、千年前とまったく同じ境内と社殿が建立されていた。入り江に突き出た半島の山上にあって周囲は海に囲まれ、眺望はシーボルトの著書『日本』に日本一美しい景色と書かれているほどだ。御祭神は賀茂別雷神命で開運の神様として信仰されている。また境内に自生している2本の榊の古木が途中で1本になっている(連理)の榊が夫婦の絆、良縁の愛の榊として、御利益があると名物になっている。
細道を登っていくと現れる蓮池が本堂。一見しただけでは建築物とも思えないが、蓮池の地下部分にご本尊を安置する本堂があり、なんともいえない荘厳な雰囲気を演出。
推古14年(606)に聖徳太子が建立した寺。奈良法隆寺の別院だったが16世紀に焼失し、その後に三重塔(重要文化財)や仁王門、講堂、太子堂などが再建された。宝物館は日光月光菩薩立像(重要文化財)をはじめ多くの文化財を収蔵。
8世紀ごろの創建と伝わる名刹。国指定重要文化財の仏像12躯と兵庫県指定の仏像34躯を安置することから、丹波の正倉院とも呼ばれている。なぜこのように多くの仏像があるか、いまだに不明。春には境内に黄色の水仙が山手まで広がり、近くにカタクリの群生地がある。夏は境内にハスの花が咲き誇り、秋には裏山がドウダンツツジとのむらカエデでワインカラーに染まる。「丹波もみじめぐり10ヶ寺」のひとつとしても有名。西国四十九薬師霊場第25番、丹波古刹十五ヶ寺霊場第6番。
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