
洲本八幡神社
縁起巻物によれば、永祚2年(990)に淡路州神と称えられたとの記述が残る由緒ある神社。江戸時代には洲本城の鎮守として、藩主の蜂須賀氏の祈願所となり広く崇敬を受けてきた。洲本城の一部を移築した金天閣は、江戸時代初期の建築様式を伝える貴重なもの。大阪中座の閉館により洲本に里帰りした柴右衛門大明神の社もある。
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縁起巻物によれば、永祚2年(990)に淡路州神と称えられたとの記述が残る由緒ある神社。江戸時代には洲本城の鎮守として、藩主の蜂須賀氏の祈願所となり広く崇敬を受けてきた。洲本城の一部を移築した金天閣は、江戸時代初期の建築様式を伝える貴重なもの。大阪中座の閉館により洲本に里帰りした柴右衛門大明神の社もある。
応永年間(1394~1428)開基と伝わる古刹。大黒天が手にする「福労」ともよばれる袋は、積み重なった苦労をいとわず福としてためこむことを意味している。また打出の小槌は弱い心や怠け心を打ち振るためともいわれている。
元和2年(1616)に沢庵和尚が再興したことから沢庵寺とも呼ばれ、沢庵和尚作の庭園の「鶴亀の庭」や「夢見の鐘」等有名。本格的な禅堂で坐禅ができる(拝観料込2000円、要予約)。時期によっては沢庵漬を販売している(1袋600円)。オリジナル御朱印帳や大根が描かれた御朱印帳も好評。
先山はイザナギ、イザナミの二神が国生みのとき、最初に創った山だといわれており「淡路富士」とも呼ばれている。千光寺は先山山頂にあり、淡路島に設定された八十八カ所第1番の札所。展望台からは、天気がよければ四国の山まで見渡すことができる。国の重要文化財の梵鐘や、仁王像、島内唯一の三重塔などみどころも多い。また、淡路島西国、淡路島十三仏も第一番札所となっている。
社宝の神輿は国指定の重要文化財で、平安期の近衛天皇の母・美福門院が石清水八幡宮に献納した15基のうちの1基との伝承がある。毎年10月第3土・日曜に開催の秋祭りでは、豊作と豊漁を占う「大綱引き」が行われ、浜までの往復約4kmを練り歩く舟だんじりも圧巻。
元慶2年(880)の開基といわれる梶原氏の菩提寺。運がよければ、ぬぼこの会代表の中川住職に話を聞ける。本堂裏の大胆な石組みの築山式庭園や境内の司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の記念碑はぜひ見ておきたいポイント。県指定の重要文化財の寺宝がある。
国生みの大業を果たされた伊弉諾尊と伊弉肉尊を祀る日本最古の神社「伊弉諾神宮」の案内(有料)とパワースポット体感ができる。
弘仁10年(819)、弘法大師により創建されたと伝わる。室町時代築の山門は島内に現存する最古の木造建築物。幕末には、この寺で勤皇の志士たちが幕府の目を逃れて密議を重ねた。神仏分離令に伴い、京都の石清水八幡宮の護国寺から移された薬師如来像や十二神将像(いずれも国指定重要文化財)が安置されている。
七福神の中で唯一女性の神様・弁財天を祭る。弁財天はもともとインドの水神で、昔から、水の流れは音楽や話術の例えに用いられており、立て板に水といわれるように、音楽、弁舌、智恵の神様として信仰されている。
淡路四国八十八ヵ所第74番霊場である蓮華寺は、禅定律師が元弘2年(1332)に建立した高野山真言宗の古刹。この寺は特に五百羅漢で有名で、およそ530体もの羅漢様が祭られている。ズラリと並んだ羅漢様は、色も鮮やかでひとつひとつ表情も違い、見ていて飽きない。江戸時代に造られた多宝塔もみどころの一つ。
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