
中山寺
聖徳太子が創建したと伝えられる古寺で、西国三十三所第24番札所。本堂や護摩堂などの堂宇は、豊臣秀頼が造営したものといわれる。約700有余体の羅漢像が並ぶ羅漢堂は壮観。本尊の十一面観音(重要文化財)は安産の観音様として知られ、毎月戌の日には、安産の腹帯を授かりに来る人で賑わう。
- 「中山観音駅」から徒歩5分/「中山寺駅」から徒歩13分
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聖徳太子が創建したと伝えられる古寺で、西国三十三所第24番札所。本堂や護摩堂などの堂宇は、豊臣秀頼が造営したものといわれる。約700有余体の羅漢像が並ぶ羅漢堂は壮観。本尊の十一面観音(重要文化財)は安産の観音様として知られ、毎月戌の日には、安産の腹帯を授かりに来る人で賑わう。
大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に大正元年(1912)に建立された。義士と萱野三平、浅野家、森家を合祀している。境内の義士宝物殿には、内蔵助が討ち入りに使ったという采配や愛刀の備前長船などが展示されている。また文化勲章受章者・平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]をはじめ、一流彫刻家による四十七士の木像を安置する義士木像奉安殿も見逃せない。
王地山公園の一角にある勝利守護の神様。いくつもの朱色の鳥居が立ち並ぶ。藩主青山忠裕が老中だったころ、領内のお稲荷さんが力士に化けて将軍上覧の大相撲で優勝し、負けきらいの殿様を大いに喜ばせたことに感謝して奉られたのが起こりという。
廃帝となって淡路島に流された淳仁天皇が父親の舎人親王を祭るために創建したと伝わる。常隆山の頂上付近にあるアジサイや紅葉が美しいことで知られる。
淡路島七福神霊場の総本山の八浄寺の奥の院。本尊の二躯聖観世音菩薩は、兵庫県指定の重要文化財で秘仏。毎年4月10日に大祭があり一年に一度だけこの本尊が一般公開されている(バス運行あり)。境内にある庭園「御岳山」は昭和の小堀遠州とも称えられた中根金作氏の手によるもの。桜の名所としても知られている。
応永年間(1394~1428)開基と伝わる古刹。大黒天が手にする「福労」ともよばれる袋は、積み重なった苦労をいとわず福としてためこむことを意味している。また打出の小槌は弱い心や怠け心を打ち振るためともいわれている。
縁起巻物によれば、永祚2年(990)に淡路州神と称えられたとの記述が残る由緒ある神社。江戸時代には洲本城の鎮守として、藩主の蜂須賀氏の祈願所となり広く崇敬を受けてきた。洲本城の一部を移築した金天閣は、江戸時代初期の建築様式を伝える貴重なもの。大阪中座の閉館により洲本に里帰りした柴右衛門大明神の社もある。
国生み神話の主人公である、伊弉諾[いざなぎ]大神と伊弉冉[いざなみ]大神の二柱の夫婦神を祀る古社。古事記・日本書紀による日本最古の神社とされ、国生み・神生みの御神功を果たされた伊弉諾大神は、この地に幽宮[かくりのみや]を構えて余生を過ごされたと伝えている。境内にはニ柱の神霊が宿るという、樹齢約九百年の夫婦[めおと]の大楠(県天然記念物)があり、夫婦円満や安産を願って夫婦で訪れる参拝者が多い。
七福神の中で唯一女性の神様・弁財天を祭る。弁財天はもともとインドの水神で、昔から、水の流れは音楽や話術の例えに用いられており、立て板に水といわれるように、音楽、弁舌、智恵の神様として信仰されている。
聖徳太子の勅命により推古天皇のころ(592~628年)に創建されたと伝わる。甲冑に身を包み、左手に宝の塔、右手に宝の棒を持つ姿が勇ましい毘沙門天は仏法を信じるものを守護してくれ、勇気と決断力を授けてくれる。
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