
中の橋
歩行者と自転車専用の橋。藩政時代に個人が架けた橋で、渡る時に一文を徴収したので一文橋と呼ばれていた。
- 「北鉄金沢駅」から徒歩23分/「金沢駅」から徒歩25分
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歩行者と自転車専用の橋。藩政時代に個人が架けた橋で、渡る時に一文を徴収したので一文橋と呼ばれていた。
兼六園の中にあり、雁が夕空に列をなして飛んでいる様に似ていることから名付けられた。亀甲型の赤戸室石が11枚連なった石橋で、渡ると長生きするといわれるが現在は通行できない。
浅野川にかかる長さ63mの歩行者・自転車専用の木造の橋。明治43年(1910)に架けられたのが始まりで、現在の橋は昭和53年(1978)の再建。国登録有形文化財の浅野川大橋の東隣に架かるこの橋の周辺は、泉鏡花の著書『義血侠血』の舞台でもある地。浅野川大橋から梅ノ橋、天神橋へと至る川沿いの道は「鏡花のみち」と名付けられ、作品に登場する滝の白糸碑、ヒロイン滝の白糸をイメージした像なども立つ。夜はライトアップが美しい。
UFOの町として知られる羽咋の駅前で注目を集めるのが擬音オブジェ。「ジャーン!」や「ゴゴゴ…」といった音を表す文字を彫ったものでインパクト抜群。実はこれ、立派な芸術作品。平成5年(1993)に羽咋市駅前通り商店街が若手作家に作品発表の場を提供し、町を活性化しようと設置したもの。
天神橋から中の橋の左岸にある約600mの道。ここは、浅野川大橋のたもとに生まれた泉鏡花が幼い頃を過ごした場所であり、また、天神橋は鏡花の小説『義血侠血[ぎけつきょうけつ]』の舞台になったところでもある。途中にはゆるやかに弧を描く木造の梅ノ橋が架かる。人が通るために渡された風情ある橋で、そのたもとには『義血侠血』のヒロイン・滝の白糸の碑と像が立っている。
河北潟放水路に架かる全長344mの橋。白鳥が舞い降りた姿と雪吊りをイメージして造られた直線美が印象的。夜間はライトアップされ、内灘町のランドマークとなっている。
能登島と中島地区と内陸を結ぶ全長620mの斜張橋。中島町側の橋のたもとにある長浦うるおい公園には展望台、駐車場、トイレ、物販施設がある。展望台からは橋越しに波穏かな七尾湾の景色を眺められ、天候によっては立山連峰が見えることも。
作家・島田清次郎が幼い頃移り住み、小説『地上』の舞台ともなった吉米楼をその跡地に再現した資料館。1階は大正時代を彷彿とさせる室内に清次郎の関係資料を展示。2階は客をもてなすための座敷で、太鼓や三味線などが置かれ当時の華やかな雰囲気がうかがえる。所要15分。
かつて能登島には橋がなく、能登半島本土側へはフェリーで行き来していた。昭和57年(1982)に和倉温泉と島を結ぶ能登島大橋が開通すると、のとじま水族館や石川県能登島ガラス美術館が次々に建設され、島の観光地化が進む。当初は通行料が必要だったが、平成10年(1998)に無料化が実現。翌平成11年(1999)には七尾市中島町との間にツインブリッジのとが開通し、能登島へのアクセスは格段に良くなった。それぞれ美しいフォルムをたたえ、能登島観光に外せないみどころになっている。徒歩による通行もできるので、記念撮影にぜひ。
浅野川大橋は、大正11年(1922)に浅野川に架けられた西洋風のめがね橋。最初の橋は加賀藩祖・前田利家が架けたものだといい、現在は国道157号線上にあって、大正時代から昭和41年(1966)までは橋上に市電が走っていた。橋長は約55m、幅約17m。鉄筋コンクリート造の3径間連続アーチ橋で、唐草模様付きの格子高欄や復刻されたレリーフ、レトロ調の五灯式あんどん型照明など、昼も夜も雰囲気がある。平成12年(2000)、国登録有形文化財に登録された。
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