
風見鶏の館
三角屋根の頂にそびえる風見鶏が北野町のシンボル。明治42年(1909)頃に建てられた旧トーマス邸で、異人館のランドマーク的存在だ。ドイツの伝統様式である重厚なレンガ貼りの外観と、アール・ヌーボー調の室内装飾が調和した優美で豪華な館。国の重要文化財にも指定されている。
- 「新神戸駅」から徒歩14分/「三宮(神戸市営)駅」から徒歩15分
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三角屋根の頂にそびえる風見鶏が北野町のシンボル。明治42年(1909)頃に建てられた旧トーマス邸で、異人館のランドマーク的存在だ。ドイツの伝統様式である重厚なレンガ貼りの外観と、アール・ヌーボー調の室内装飾が調和した優美で豪華な館。国の重要文化財にも指定されている。
令和元年(2019)秋にリニューアルオープンした館内には、現在では稀少な動物の剥製が展示されており、なかでも巨大な白熊(ポーラーベア)やアメリカバイソン、白オオカミなどの迫力には驚かされる。ベンの家の赤レンガの塀は当時ドイツから取り寄せた煉瓦をそのまま使用していることから、神戸市から文化財指定を受けている。
白亜の壁に緑色の柱や桟が鮮やかなこの館は、明治後期に建築された木造二階建て。戦後は一時期、パナマ領事館として使用され、領事であるカルロス氏の住居でもあった。現在は、異人館では珍しいアミューズメントスポットとして、ヨーロッパでだまし絵として生まれたトリックアートを展示している。神戸オリジナルシリーズやアドベンチャーワールド、錯視の世界、錯覚・脳のトレーニング、名画の世界、迷宮の部屋のコーナーに分かれ、大人から子どもまで楽しめ、見て、触って、遊ぶ、全天候型アート館。
かつて坂本龍馬が学んだ神戸海軍操練所は、江戸末期の元治1年(1864)に、軍艦奉行であった勝海舟の建言によって、徳川幕府が神戸に設置した海軍士官養成機関、海軍工廠[かいぐんこうしょう]のこと。旧居留地の南、現在の新港町付近にあったといい、海岸通りの京橋筋南詰に大きな錨をかたどった神戸海軍操練所跡碑が立つ。諏訪山公園の海軍営の碑や、三宮神社の神戸事件跡などと併せて幕末史跡めぐりを楽しもう。
三ノ宮駅からフラワーロードを南へ10分ほど歩いた場所にある、緑あふれる公園。かつてここには外国人専用のグラウンドがあり、さまざまな国のスポーツが行われていた。そのため、ここから日本人に文化が浸透していったともいわれ、日本の近代スポーツ発祥の地だ。園内にはモダンな彫刻や噴水のほか、外国人の社交場だった「神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ」をモチーフにしたレストランなどが立つ。阪神・淡路大震災の犠牲となった人々の鎮魂と慰霊を願う、慰霊と復興のモニュメントや希望の灯りなどもある。
『平家物語』などは平清盛が福原の地にいくつかの邸宅を持っていたことを伝える。そのひとつが「雪見御所」で、その名を伝える雪見御所町に存在した可能性が高い(石碑横の説明板より)。石碑と説明板は旧湊山小学校の北側の歩道から直接見ることができる。
公開中の異人館の中で、唯一オリエンタルなムードが漂う異人館。館内のインテリアは明朝(1368~1615年)から清朝(1616~1911年)にいたる、中国の貴重な家具、調度品、美術品が施されており、青磁や極彩色の壺、紫檀に螺鈿[らでん]で装飾されたサロンセット、天蓋のあるベッドなど、部屋ごとにシックで統一感のある中国モダニズムのインテリアが堪能できる。また、中庭に設置されている一対の狛犬(獅子像)はどちらも口を「阿」形で開いており、その間を歩けば「愛情に恵まれる」といわれている。
神戸市内最大級の異人館。大阪鉄工所(現・日立造船所)を創設した英国人E・H・ハンター氏の旧邸で、明治22年(1889)ごろの建築。もとは北野町にあったが、昭和38年(1963)に王子動物園内に移された。
大丸本館の南側に隣接する別館。昭和4年(1929)築のビル4フロアにオシャレなショップが入り、旧居留地活性化のきっかけになっている。
天正2年(1574)、織田信長が武将・荒木村重に命じて花隈城を築かせたが、後に村重が離反して信長に攻められ、天正8年(1580)に落城。その跡地が公園になっている。
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