「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」の碑
城下町の整備とともに直江兼続が力を注いだのが鉄砲製造。秘境の温泉地として知られる白布にその足跡が残されている。ここで製造された火縄銃は1000挺に上り、上杉軍の鉄砲隊は鴫野[しぎの]の戦いで大いに活躍した。
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城下町の整備とともに直江兼続が力を注いだのが鉄砲製造。秘境の温泉地として知られる白布にその足跡が残されている。ここで製造された火縄銃は1000挺に上り、上杉軍の鉄砲隊は鴫野[しぎの]の戦いで大いに活躍した。
明治43年(1910)山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校本館として竣工。ルネッサンス様式の美しい木造2階建で、国の重要文化財。内部見学は要予約で平日11~16時。外観見学のみは、いつでも可。訪問時に正門守衛に声掛けの事。
白河藩阿部氏が文政6年(1823)山野辺周辺を治めるため設けた陣屋の遺構。本体は明治3年(1870)に解体されたが、玄関の鵯線[ひよどりせん]の廂[ひさし]などは建築学的価値があり、旧役場跡地内にある。
「上山城」は、別名「月岡城」とも呼ばれ、天文4年(1535)に築城された城。江戸時代にはその壮麗な城郭から「羽州の名城」とも。城跡は月岡公園と月岡神社境内として整備され、昭和57年(1982)に二の丸に再建された3層の模擬天守は郷土資料館となっている。資料館内では、上山の歴史や文化を紹介しており、昔あそび体験コーナーが人気。企画展もあり、上山市観光ボランティアガイドが無料ガイドをしてくれるのでぜひ。最上階からは上山市街や蔵王連峰を一望できる。
出羽の関ケ原・長谷堂合戦の舞台になった長谷堂城跡。慶長5年(1600)9月、上杉の智将「直江兼続」は二万余の大軍を率いて長谷堂城に押し寄せたが、最上義光の家臣、長谷堂城主「志村伊豆守光安」が千人あまりの城兵をもって、これを撃退し山形を戦火から護った。現在は公園として整備されており、曲輪や虎口、空堀など中世・戦国の遺構に出会うことができる。
銀山温泉の地名の由来となった銀山跡で、康正2年(1456)に発見された。内部は一本道の通路が整備されている。江戸時代に幕府直営の鉱山として繁栄した名残を今に伝えるスポット。
江戸時代初期に建てられたと推定される、新庄領堺田村の庄屋の住宅。元禄2年(1689)、松尾芭蕉が旅の途中でこの家に3日間逗留したとされ、その際に詠んだ句が『おくのほそ道』に収められている。
立石寺の山門から仁王門への途中に建つ。芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑。芭蕉が山寺を訪れたのは元禄2年(1689)のこと。
旧柏倉家住宅は江戸時代後期から明治にかけて、豪農として栄えた柏倉九左衛門家の屋敷。敷地約2300坪、建物約427坪という大規模住宅で、明治期の南東北地方における上質な農家建築として価値が高いと、令和元年(2019)9月に重要文化財に指定された。漆塗や金箔で飾られた仏間などは上質な座敷蔵で、村山地方における屋敷構えの特徴を表しており必見。また7月上旬には日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財とされた紅花畑が門前に花開き、11月には鮮烈な紅葉が庭園を彩る。
瑞雲院の境内東側にある、江戸時代に11代続いた新庄藩主戸沢家の6棟の霊廟。総ケヤキ造りで、1700年代初期から後期に亘る約100年間の建築様式の変化も見ることができる。正室・側室や家族の墓が同じ棟にあるのは全国的にも珍しい。国指定史跡に登録されている。
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