神島灯台
明治43年(1910)に建てられた純白の灯台で、今も伊良湖水道の安全を守り続けている。内部の見学はできないが、渥美半島・篠島・佐久島・日間賀島に加え、はるか知多半島まで見渡すことができる。
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明治43年(1910)に建てられた純白の灯台で、今も伊良湖水道の安全を守り続けている。内部の見学はできないが、渥美半島・篠島・佐久島・日間賀島に加え、はるか知多半島まで見渡すことができる。
川口町にある七里の渡に面して建てられた河口のまち桑名を象徴する蟠龍櫓。かつては東海道を行き交う人々が必ず目にした桑名のシンボルを忠実に復元。かの有名な歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いている。「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のこと。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟などの装飾モチーフとしても広く用いられている。蟠龍櫓についても、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられている。
南北朝時代に設立された、岡田文庫を前身とする内宮の学舎。貞享3年(1686)に再興され、元禄3年(1690)に現在地へ移転。書庫・講堂・塾舎などがあり、神宮に参拝した学者たちが講義をしたり、著書を献納してきた。昭和29年(1954)に史跡に指定。所蔵図書は現在、神宮文庫に移されている。4月と9月の特定期間のみ一般公開。
パールロードの途中、標高162mの箱田山山頂にある展望台。ここからの海の風景は雄大で、知多半島からぐるりと大王崎まで見渡せ、天候の条件が合えば富士山も見える。山口誓子の石碑、地元出身の兄弟歌手、鳥羽一郎と山川豊の歌碑も立っている。カフェ、ショップが入る「海女のテラス」もある。ドライブ途中の休憩に立ち寄りたいスポットだ。
旧日本陸軍が、砲弾の着弾地点を観測するために建てられた建物。三島由紀夫の小説『潮騒』では新治が炎を飛び越えて初江を抱擁するクライマックスシーンの舞台となった。
南北朝から戦国時代にかけて栄えた豪族、愛洲一族の居城だった五ケ所城跡周辺を整備した里公園。剣祖愛洲移香斎[あいすいこうさい]に関する資料や町の伝統芸能などを紹介した愛洲の館、五ケ所城跡、古井戸、牛鬼の像などがある。
町の中央にある小高い丘は「恵比寿丘」と呼ばれ、豊漁と海上安全、商売繁昌を祈願して大きな恵比寿像が建てられている。この像は名のとおり、いつも鼻が欠けている。これはハナ(端を取る)=先を制すにかけて、地元の人が持っていってしまうから。毎年新しい鼻が付けられる1月20日の初えびすの日には、地元の人に観光客も参加し、初笑い神事が開催される。
創業は宝暦6年(1756)の問屋で、今も現役の蔵は築200年以上前のもの。旅人の世話をする伊勢神宮の御師の家であったため、江戸時代の旅の案内本や錦絵、陶器などが残る。伊勢まちかど博物館として公開。手押しトロッコは、64mのトロッコレールが倉庫へ続く。
医者であり詩人であった伊良子清白。北原白秋や西条八十とも交流がり、この家を訪れている。その居宅兼診療所が平成21年(2009)、マリンパークに移築された。建物には診察室のほか、居間や客間などが残る。
桑名宿は東海道五十三次の42番目の宿場。桑名藩の城下町でもあり、江戸後期には本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠120軒が立ち並ぶ大きな宿場だった。熱田神宮のある熱田宿とは伊勢湾の海路・七里の渡しで結ばれ、桑名の渡船場は伊勢神宮への入口としても賑わった。現在、七里の渡跡には伊勢神宮一の鳥居と常夜灯が立ち、近くには復元された航海の守護神を祭る蟠龍櫓や、旅館として営業している大塚本陣跡、脇本陣跡などが残る。七里の渡跡から桑名城跡(九華公園)の外堀沿いや街中を通る東海道を散策すれば、「歴史を語る公園」や道標、矢田立場などに往時の宿場町の面影が感じられる。
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