
名張藤堂家邸跡
寛永13年(1636)、藤堂高吉[たかよし]が建てた武家屋敷。往時には1083畳の広さを誇ったが、廃藩置県で5分の1に縮小された。現在、書院式枯山水の庭園をはじめ、全国でも珍しい中奥とよばれる当主の私室が残されている。
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寛永13年(1636)、藤堂高吉[たかよし]が建てた武家屋敷。往時には1083畳の広さを誇ったが、廃藩置県で5分の1に縮小された。現在、書院式枯山水の庭園をはじめ、全国でも珍しい中奥とよばれる当主の私室が残されている。
幕末の頃に建てられた町家を公開。江戸時代の大名火消し装束や錦絵など、代々伝わる品を展示している。特に彫刻寄せ木作りの角田半兵衛夫婦坐像は、幕末の彫刻師で生人形の元祖ともいわれる安本亀八の作。書院造りの座敷では名張出身の江戸川乱歩や初瀬街道など、名張の歴史を題材にした歴史影絵劇も上演(要予約)。
至徳1年(1384)に伊勢国司北畠顕能[きたばたけあきよし]の家臣、加藤甚左衛門[かとうじんざえもん]が築城。現在は城跡を示す石碑だけが残る。標高100mほどの丘にあり、熊野灘や長島の町並みが一望できる。
山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代諸戸清六の新居として、大正2年(1913)に建てられた邸宅を公開。鹿鳴館を設計したイギリス人、ジョサイア・コンドル設計の洋館と、それに連なる和館は国の重要文化財で、その前に広がる池泉回遊式庭園も国の名勝指定を受けている。
昔、街道の一里ずつに木を植え、道程の目印にしたのが一里塚。野村一里塚は県下12カ所の一里塚のなかで唯一現存し、樹齢400年のムクの巨木が植えられている。国指定の史跡。
7世紀後半から8世紀前半にかけて、大来皇女[おおくのひめみこ]が父・天武天皇のために建立した昌福寺[しょうふくじ]の跡と推定されている。跡地に立つ夏見廃寺展示館には、仏画の彫られたせん仏や軒瓦など、数多くの出土品が展示されている。
神宮参拝の皇族や各界要人の宿泊・休憩所として明治20年(1887)に建設された。豪華なシャンデリアを備えた120畳の大広間、輪島塗二重格天井が施された御殿の間など、贅を凝らした装飾や匠の技が随所に見られる。国の重要文化財。
母の病を治そうと禁漁区の阿漕浦[あこぎうら]で漁をし、処刑された親孝行息子の平治。その霊を慰めるために築かれた塚。
亀山城の外堀にあたる池の近くには昭和7年(1932)に亀山保勝会が建立した石碑が立つ。これは元禄14年(1701)5月9日に石井源蔵・半蔵兄弟が父の仇、赤堀水之助を討ち取ったことを記念する碑。当時、元禄曽我とよばれ、翌年の赤穂浪士の討ち入りと並び称された。
記紀では、日本武尊が東征の帰途、亀山で終焉を迎え、魂は白鳥と化して大和へ向かったとされている。市内北東部にあるこの墓は、ミコトの墳墓の地と伝えられ、神社や公園がある。
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