
猪名寺廃寺跡
塔と金堂が東西に並び、北側には講堂を配した「法隆寺式」伽藍配置の白鳳時代の寺院跡。織田信長勢による荒木村重の居城「有岡城」攻略の際に焼失したのではないかとされる。昭和27年(1952)と33年(1958)の発掘調査で、川原寺式の軒瓦や鬼瓦なども見つかった。現在は大正年間に塔跡から運び出された塔心礎のみが残る。
- 「猪名寺駅」から徒歩12分/「新伊丹駅」から徒歩18分
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塔と金堂が東西に並び、北側には講堂を配した「法隆寺式」伽藍配置の白鳳時代の寺院跡。織田信長勢による荒木村重の居城「有岡城」攻略の際に焼失したのではないかとされる。昭和27年(1952)と33年(1958)の発掘調査で、川原寺式の軒瓦や鬼瓦なども見つかった。現在は大正年間に塔跡から運び出された塔心礎のみが残る。
武田信玄の孫といわれる武田勝親の墓。天正10年(1582)に父である勝頼が天目山の戦いで織田信長に敗れ、この地に逃れた勝親が一生を終えたと言い伝えられている。
平成5年(1993)、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された、日本を代表する名城。白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城の別名がある。羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として築いた3重の天守を、関ケ原の合戦後に入城した池田輝政が慶長6年(1601)から歳月を費やし改築。5重6階地下1階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ独特の連立式天守(国宝)は、石垣や白漆喰総塗籠造の外観とともによく保存されている。櫓・門など、城内74棟の建物が重要文化財。美しい造形の中に、敵の侵入を防ぎ攪乱する仕組みを潜ませているのも興味深い。日没後は翌0時までライトアップする。
姫路城の屋根に一対の大鯱[おおしゃち]瓦をのせ、外観は5重、内部は地下1階、地上6階。石垣まで含めた高さは46m余りで、三角形の千鳥破風とゆるやかな曲線を描く唐破風の屋根がみごとに調和している。
三木露風が作詩を手がけた童謡「赤とんぼ」の詩と五線譜、肖像のレリーフがはめこまれた石碑。前に立つとメロディーが流れる。
城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つ。「一の湯」横の足湯近くに配された句碑には、昭和5年(1930)に城崎を訪れ、大正・昭和に活躍した歌人・与謝野寛・晶子の短歌が夫婦仲よく紹介されている。足湯を楽しみながらチェックしよう。
帝国ホテルの旧本館の設計でも有名なフランク・ロイド・ライトが、灘の酒造家・山邑太左衛門の別荘として設計した。鉄筋コンクリートの4層造りで、外壁や内装に使われている大谷石が、どっしりとした重厚な印象を受ける。自然光を取り入れた2階の応接間、欄間を銅板で装飾したハイカラな3階の和室や、暖炉を中心に左右対称のデザインになっている最上階などみどころが多い。国の重要文化財。所要50分。
阪神電車旧尼崎発電所は明治37年(1904)、阪神電車の開業を前に、電車の走行用電力の火力発電所として建設された。大正8年(1919)には稼働停止となり、第二次世界大戦以降は資材倉庫として活用された。一般道から赤レンガ造りのレトロな外観を見ることができる。
『夢千代日記』にちなんで、荒湯のすぐ近くに立つ。モデルは主人公を演じた吉永小百合。春来川沿いには、夢千代の出演者や有名人の手形が刻まれている。
この地に立ち寄った法然に念仏を授けられ、川に身を投げた五人の遊女を葬ったとされる塚。裏面には遊女の名があったといわれる。
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