
猪名寺廃寺跡
塔と金堂が東西に並び、北側には講堂を配した「法隆寺式」伽藍配置の白鳳時代の寺院跡。織田信長勢による荒木村重の居城「有岡城」攻略の際に焼失したのではないかとされる。昭和27年(1952)と33年(1958)の発掘調査で、川原寺式の軒瓦や鬼瓦なども見つかった。現在は大正年間に塔跡から運び出された塔心礎のみが残る。
- 「猪名寺駅」から徒歩12分/「新伊丹駅」から徒歩18分
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塔と金堂が東西に並び、北側には講堂を配した「法隆寺式」伽藍配置の白鳳時代の寺院跡。織田信長勢による荒木村重の居城「有岡城」攻略の際に焼失したのではないかとされる。昭和27年(1952)と33年(1958)の発掘調査で、川原寺式の軒瓦や鬼瓦なども見つかった。現在は大正年間に塔跡から運び出された塔心礎のみが残る。
建築家村野藤吾氏の設計による、国の登録有形文化財としても価値のある施設で、かつて大庄村役場として建てられたもの。大庄小学校の目の前にあり、地域活動の拠点として近隣住民に広く利用されている。建築ファンの訪問も多く、「建物に興味があればいつでもご案内いたしますよ」と館長。
武田信玄の孫といわれる武田勝親の墓。天正10年(1582)に父である勝頼が天目山の戦いで織田信長に敗れ、この地に逃れた勝親が一生を終えたと言い伝えられている。
JR立花駅南側再開発のメインビルとして建てられたビルで、低層階の商業ゾーンには北館・南館あわせて約150のテナントが入居する。尼崎市の保健所も入居する。
阪神電車旧尼崎発電所は明治37年(1904)、阪神電車の開業を前に、電車の走行用電力の火力発電所として建設された。大正8年(1919)には稼働停止となり、第二次世界大戦以降は資材倉庫として活用された。一般道から赤レンガ造りのレトロな外観を見ることができる。
奈良時代、聖武天皇の発願で国ごとに置かれた官寺の一つで国指定史跡。発掘調査で、南大門・金堂・塔など壮大な伽藍の配置が確認された。現在はふるさと歴史の広場として一部が整備され、伽藍配置や復元された築地塀などを見学できる。
平成5年(1993)、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された、日本を代表する名城。白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城の別名がある。羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として築いた3重の天守を、関ケ原の合戦後に入城した池田輝政が慶長6年(1601)から歳月を費やし改築。5重6階地下1階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ独特の連立式天守(国宝)は、石垣や白漆喰総塗籠造の外観とともによく保存されている。櫓・門など、城内74棟の建物が重要文化財。美しい造形の中に、敵の侵入を防ぎ攪乱する仕組みを潜ませているのも興味深い。日没後は翌0時までライトアップする。
三木露風が作詩を手がけた童謡「赤とんぼ」の詩と五線譜、肖像のレリーフがはめこまれた石碑。前に立つとメロディーが流れる。
大正12年(1923)に建築され、篠山町役場として、常に篠山観光のシンボル的存在として人気のスポット。大正ロマネスクの雰囲気漂う館内には、篠山の特産品を扱うショップやレストランがある。
高級武士の居宅として使われていた建物。屋敷内は、刀を使い難くするために天井を低くするなど、襲撃に備えての工夫が施されている。無形文化財の大名行列諸道具なども展示。
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