
残念さんの墓
蛤御門の変後に尼崎で自決した、長州藩士山本文之助の墓。願いが一つだけ叶うといわれている。
- 「大物駅」から徒歩7分/「杭瀬駅」から徒歩15分
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蛤御門の変後に尼崎で自決した、長州藩士山本文之助の墓。願いが一つだけ叶うといわれている。
帝国ホテルの旧本館の設計でも有名なフランク・ロイド・ライトが、灘の酒造家・山邑太左衛門の別荘として設計した。鉄筋コンクリートの4層造りで、外壁や内装に使われている大谷石が、どっしりとした重厚な印象を受ける。自然光を取り入れた2階の応接間、欄間を銅板で装飾したハイカラな3階の和室や、暖炉を中心に左右対称のデザインになっている最上階などみどころが多い。国の重要文化財。所要50分。
建築家村野藤吾氏の設計による、国の登録有形文化財としても価値のある施設で、かつて大庄村役場として建てられたもの。大庄小学校の目の前にあり、地域活動の拠点として近隣住民に広く利用されている。建築ファンの訪問も多く、「建物に興味があればいつでもご案内いたしますよ」と館長。
この地に立ち寄った法然に念仏を授けられ、川に身を投げた五人の遊女を葬ったとされる塚。裏面には遊女の名があったといわれる。
領有関係が複雑だった尼崎藩の領地の境を示した碑。江戸時代は西川村内で樋ノ口、新堤、山ノ下に3基の碑があったとされるが、この碑は樋ノ口にあったものと見られている。
元和5年(1619)、徳川家康のひ孫である小笠原忠政(のちの忠真)が築城した明石城を中心とした県立明石公園。重要文化財である、坤[ひつじさる]・巽[たつみ]の両櫓は、全国に12基しか現存しない希少な三重櫓のうちの2つ。両櫓を結ぶ美しい白壁の土塀や、全国有数の長さといわれる東西380mの石垣など見所満載。芝生広場や、剛ノ池でのボート、運動施設など、市民の憩いの場として親しまれている。甲子園球場約13個分もの広大な敷地を誇り、JR明石駅より徒歩5分の抜群のアクセスで春は桜、秋は紅葉目当てにたくさんの来園者でにぎわう。
日本建築の伝統技術を残すために、伊丹市内の大工、左官、建具師など一流の名工たちが造り上げた入母屋造りの数寄屋風建物。2000平方mという広さを誇る敷地内では、風情ある和風石組庭園も愛でることができる。周辺の樹林帯と池とが見事に調和する庭園風景は、まさに息をのむ美しさ。
三木露風が作詩を手がけた童謡「赤とんぼ」の詩と五線譜、肖像のレリーフがはめこまれた石碑。前に立つとメロディーが流れる。
大正12年(1923)に建築され、篠山町役場として、常に篠山観光のシンボル的存在として人気のスポット。大正ロマネスクの雰囲気漂う館内には、篠山の特産品を扱うショップやレストランがある。
平成5年(1993)、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された、日本を代表する名城。白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城の別名がある。羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として築いた3重の天守を、関ケ原の合戦後に入城した池田輝政が慶長6年(1601)から歳月を費やし改築。5重6階地下1階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ独特の連立式天守(国宝)は、石垣や白漆喰総塗籠造の外観とともによく保存されている。櫓・門など、城内74棟の建物が重要文化財。美しい造形の中に、敵の侵入を防ぎ攪乱する仕組みを潜ませているのも興味深い。日没後は翌0時までライトアップする。
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