残念さんの墓
蛤御門の変後に尼崎で自決した、長州藩士山本文之助の墓。願いが一つだけ叶うといわれている。
- 「大物駅」から徒歩7分/「杭瀬駅」から徒歩15分
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蛤御門の変後に尼崎で自決した、長州藩士山本文之助の墓。願いが一つだけ叶うといわれている。
出石城旧三の丸大手門の一角にある、明治4年(1871)建築の櫓。太鼓で時を告げていた。現在は時計台として利用されている。出石城旧三の丸大手門の一角にあり、櫓自体は明治4年(1871)の完成だが、後の明治14年(1881)に旧藩医池口忠恕氏が大時計を寄贈し、以来時計台として利用されている。現在の時計は4代目。
正徳4年(1714)、織田信長直系の信休が造営した藩邸。文政元年(1818)に焼失し、その後再建。現在は当時の約5分の1、旧表御殿の部分だけが残っている。周囲の町並みにも、柏原を統治した織田家ゆかりの建物が数多く残されているので、のんびりと歴史散策を楽しみたい。国指定史跡。内部見学可。
大正12年(1923)に篠山町役場として建築され、常に篠山観光のシンボル的存在の人気スポット。大正ロマネスクの雰囲気漂う館内には、篠山の特産品を扱うショップやレストランがある。
慶長9年(1604)、有子山の麓に小出吉英[こいでよしふさ]が築いた平山城の城跡。江戸時代には出石藩の本城として約260年間利用された。現在は本丸跡に隅櫓[すみやぐら]が復元されている。その横に延びる157段の石段には37基の鳥居が並ぶ。ここは城山稲荷と呼ばれ、信仰の対象としても親しまれてきた。春には桜の名所として多くの人が訪れる。
平成16年(2004)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「篠山の町並み」。篠山城跡の周囲に町割された旧武家町と旧商家町からなり、東西約1500m、南北約600mに古い武家屋敷や町家が軒を連ねている。旧武家町は、篠山城の西側に位置する御徒士町[おかちまち]通り(西新町)から南新町、東新町付近。小林家長屋門、安間家史料館が重厚な面影を見せている。旧商家町は、篠山城跡の南東に位置する小川町と河原町付近。江戸末期から昭和初めの町家や土蔵が立ち並び、妻入の中二階建て、桟瓦葺、白壁に出格子の西坂家や川端家などの家々がある。
高級武士の居宅として使われていた建物。屋敷内は、刀を使い難くするために天井を低くするなど、襲撃に備えての工夫が施されている。無形文化財の大名行列諸道具なども展示。
『暗夜行路』などを書いた大正・昭和の小説家・志賀直哉。城崎温泉は、大正2年(1913)、電車にはねられて負傷した志賀直哉が療養した温泉地として知られる。その際に執筆した『城の崎にて』の言葉が記された文学碑が城崎文芸館前に配されている。城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つだ。
天守台は標高353mの山頂に築かれ、規模は南北400m、東西100mに及ぶ。完存する石垣遺構としては全国屈指。自然石を巧みに配置した近江穴太衆による石垣は、400年を経た今なお当時の威容を誇る。日本城郭協会「日本100名城」にも選ばれている。秋から冬にかけての晴れた早朝には、雲海に包まれた竹田城跡を望むことも。その姿は天空に浮かぶ城を思わせ、幻想的な風景がひろがる。国重要文化財(史跡)。
明治45年(1912)完成し、約100年もの間、山陰の交通を支えた朱色の橋「余部鉄橋」が、安全性・定時性確保のため、平成22年(2010)8月コンクリート橋に架け替えられた。余部鉄橋同様、「空中列車」としての眺望も美しく、新たな余部のシンボルとなっている。餘部駅へは急な細い山道が続くため、車では行けない。余部鉄橋の橋脚は、駅側3本が現地保存されていて、展望施設「空の駅」として活用されている。平成29年(2017)11月、空の駅へと続くエレベーター「余部クリスタルタワー」が完成。
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