
篠山城大書院
慶長14年(1609)、篠山城とほぼ同時期に建てられ、藩の公式行事などに使用された大書院。火災で焼失したが、地元の多くの人々の長年の願いを受けて、平成12年(2000)に復元再建。大書院の中で最も格式の高い部屋「上段の間」は必見。
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慶長14年(1609)、篠山城とほぼ同時期に建てられ、藩の公式行事などに使用された大書院。火災で焼失したが、地元の多くの人々の長年の願いを受けて、平成12年(2000)に復元再建。大書院の中で最も格式の高い部屋「上段の間」は必見。
『夢千代日記』にちなんで、荒湯のすぐ近くに立つ。モデルは主人公を演じた吉永小百合。春来川沿いには、夢千代の出演者や有名人の手形が刻まれている。
出石城旧三の丸大手門の一角にある、明治4年(1871)建築の櫓。太鼓で時を告げていた。現在は時計台として利用されている。出石城旧三の丸大手門の一角にあり、櫓自体は明治4年(1871)の完成だが、後の明治14年(1881)に旧藩医池口忠恕氏が大時計を寄贈し、以来時計台として利用されている。現在の時計は4代目。
銀が発見されたのは約1200年前と伝えられる生野銀山。織田・豊臣・徳川の直轄を経て明治政府初の官営鉱山となり、日本の近代化に貢献した大鉱山だ。近年には、経済産業省「近代化産業遺産」の構成遺産や文化庁「日本遺産」の構成文化財の一部にも認定。総延長350km以上、深さ約880mに及ぶ坑道の一部を公開した施設の敷地内には、生野鉱物館や鉱山資料館、吹屋資料館、レストハウス、食堂なども揃う。約1kmの観光坑道は、車椅子やペットの入場も可能で、近代技術による採掘状況や岩肌の生々しいノミ跡、銀鉱脈跡などが間近に見学できる。
神宮寺の飛び地境内に歴代住職の墓と並んで建ち、向かって右側の五輪塔が武将・梶原景時の墓と伝えられる。鎌倉時代前期に建立されたと考えられ、石材はこすると松の香りがするという松香石。
城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つ。「一の湯」横の足湯近くに配された句碑には、昭和5年(1930)に城崎を訪れ、大正・昭和に活躍した歌人・与謝野寛・晶子の短歌が夫婦仲よく紹介されている。足湯を楽しみながらチェックしよう。
明治45年(1912)完成し、約100年もの間、山陰の交通を支えた朱色の橋「余部鉄橋」が、安全性・定時性確保のため、平成22年(2010)8月コンクリート橋に架け替えられた。余部鉄橋同様、「空中列車」としての眺望も美しく、新たな余部のシンボルとなっている。餘部駅へは急な細い山道が続くため、車では行けない。余部鉄橋の橋脚は、駅側3本が現地保存されていて、展望施設「空の駅」として活用されている。平成29年(2017)11月、空の駅へと続くエレベーター「余部クリスタルタワー」が完成。
中央に鎮座する閻魔大王をはじめ、10人の王や「具生神」と呼ばれる書記官が祀られている。温泉寺の薬師堂の境内に位置し、山門をくぐれば右手に「十王堂」がある。薬師堂参拝の際にはぜひ訪れて、荘厳な雰囲気を漂わせて並ぶ石像をお参りしよう。
淡路島は、江戸時代以降徳島・阿波藩の領地となったが、蜂須賀正勝と義兄弟であった稲田植元の子孫に洲本城を任せたため、明治の廃藩置県まで稲田氏が治めた。洲本城下の堀端に立つお登勢像は、船山馨の小説『お登勢』の主人公。明治維新前の庚午事変を乗り越え強く生きた女性として描かれている。
『暗夜行路』などを書いた大正・昭和の小説家・志賀直哉。城崎温泉は、大正2年(1913)、電車にはねられて負傷した志賀直哉が療養した温泉地として知られる。その際に執筆した『城の崎にて』の言葉が記された文学碑が城崎文芸館前に配されている。城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つだ。
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