花隈公園
天正2年(1574)、織田信長が武将・荒木村重に命じて花隈城を築かせたが、後に村重が離反して信長に攻められ、天正8年(1580)に落城。その跡地が公園になっている。
- 「花隈駅」から徒歩4分/「みなと元町駅」から徒歩5分
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天正2年(1574)、織田信長が武将・荒木村重に命じて花隈城を築かせたが、後に村重が離反して信長に攻められ、天正8年(1580)に落城。その跡地が公園になっている。
平成5年(1993)、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された、日本を代表する名城。白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城の別名がある。羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として築いた3重の天守を、関ケ原の合戦後に入城した池田輝政が慶長6年(1601)から8年の歳月を費やし改築。5重6階地下1階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ独特の連立式天守(国宝)は、石垣や白漆喰総塗籠造の外観とともによく保存されている。櫓・門など、城内74棟の建物が重要文化財。美しい造形の中に、敵の侵入を防ぎ攪乱する仕組みを潜ませているのも興味深い。日没後は翌0時までライトアップする。
河原町はかつて城下町の商業の中心として賑わいをみせた町。現在も間口が狭く、奥行きの長い妻入りの建物が立ち並ぶ。表構えの大戸や千本格子など江戸時代を偲ぶ町並みの中に、みやげ物店などが点在し、国重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
三ノ宮駅からフラワーロードを南へ10分ほど歩いた場所にある、緑あふれる公園。かつてここには外国人専用のグラウンドがあり、さまざまな国のスポーツが行われていた。そのため、ここから日本人に文化が浸透していったともいわれ、日本の近代スポーツ発祥の地だ。園内にはモダンな彫刻や噴水のほか、外国人の社交場だった「神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ」をモチーフにしたレストランなどが立つ。阪神・淡路大震災の犠牲となった人々の鎮魂と慰霊を願う、慰霊と復興のモニュメントや希望の灯りなどもある。
住吉川沿いにたたずむ、文豪・谷崎潤一郎の旧宅。名作『細雪』は、この家で書かれたといわれる。応接室には谷崎作品のほとんどを揃え、自由に閲覧することができるほか、知人らに宛てた直筆の手紙なども展示されている。「倚松庵」の名は、最愛の妻・松子夫人にちなみ「松に寄りかかる住まい」の意味を込め命名されたものだ。土・日曜のみ開館。
神戸市内最大級の異人館。大阪鉄工所(現・日立造船所)を創設した英国人E・H・ハンター氏の旧邸で、明治22年(1889)ごろの建築。もとは北野町にあったが、昭和38年(1963)に王子動物園内に移された。
フランク・ロイド・ライト氏の愛弟子の遠藤新氏が設計した旧甲子園ホテル。国の近代化産業遺産、登録有形文化財にも登録される豪奢な建物。
龍野藩内屈指の大地主で、藩から在郷家臣の待遇を受けた永富家の住宅で、江戸後期の豪農の暮らしを今に伝えている。文政5年(1822)に完成した入母屋造・本瓦葺の主屋は建物だけで500平方m余り。この主屋と長屋門、籾納屋、土蔵5棟、建築時の記録を記した絵図面、普請帳[ふしんちょう]が重要文化財に指定されている。
お台場がガンダムなら神戸は鉄人28号や。ちょっと足をのばしてJR新長田駅前に、全長18mにおよぶ「実物大」鉄人28号のモニュメントが完成。神戸出身の漫画家・横山光輝氏を記念して作られたもので、新長田は今空前の「鉄人景気」沸騰中だ。
領有関係が複雑だった尼崎藩の領地の境を示した碑。江戸時代は西川村内で樋ノ口、新堤、山ノ下に3基の碑があったとされるが、この碑は樋ノ口にあったものと見られている。
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