
動員学徒慰霊塔
勤労奉仕に動員され原爆や空襲で亡くなった学徒の慰霊碑。モニュメント下にはさまざまな宗派をひとつに表した像が立つ。
- 「原爆ドーム前駅」から徒歩3分/「紙屋町西駅」から徒歩5分
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勤労奉仕に動員され原爆や空襲で亡くなった学徒の慰霊碑。モニュメント下にはさまざまな宗派をひとつに表した像が立つ。
核の廃絶と平和を目指し、その精神文化運動の象徴として建立された鐘。鐘には、国境のない世界地図が刻印されている。平和を願い自由に打つことができる。
幕末から明治の人々に影響を与えた「日本外史」の著者、頼山陽が青年時代に過ごした屋敷が歴史資料館に。館内には風雅な庭園や茶室も備えている。
広島県の建物百選にも名を連ねる昭和初期の木造洋風建築。頼春水の師で、江戸中期の儒学者・塩谷道碩[しおたにどうせき]の屋敷跡に立つ。竹原の塩田関連の資料を中心に歴史、文化、民俗資料を展示。レトロでモダンな洋館が古い町並みに映える。所要20分。
明王院前の平地・河川敷・中州一帯は、中世の港町だった草戸千軒町の遺跡。調査した範囲は既に掘削されているが、出土品の一部は重要文化財に指定され、広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)で見学できる。
南北朝時代から室町・戦国時代に活躍した村上氏が残した武具、遺品、古文書など歴史資料を展示している。平成28年(2016)4月、「因島村上家伝来資料群」が日本遺産の構成文化財に選定。
最盛期には100人の遊女がいたと言われる御手洗地区最大のお茶屋跡。土塀には薩摩から持ち帰った桜島の溶岩が練り込まれ、座敷の天井には屋久杉が用いられるなど、きらびやかな場にふさわしい贅沢な造り。
薪問屋、石炭問屋、製塩業、醸造業を営んでいた豪商の家。唐破風の円みを帯びた屋根、菱格子に塗籠の窓彫りをはめ込んだ出格子など、江戸末期の重厚華麗な浜旦那[はまだんな]の家として公開されている。
元和5年(1619)徳川家康の従兄弟・水野勝成[みずのかつなり]が備後十万石の領主となり築城し元和8年(1622)に完成。今の天守閣は昭和41年(1966)に再建され、博物館として公開されている。城内には約300本のソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラが咲く。福山城博物館もある。
緑の木々を背景に、朱の色も鮮やかにそびえる五重塔の建立は、応永14年(1407)と伝えられている。高さ27m、唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く。初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には、金襴巻きの装飾画、壁には、極彩色の仏画が描かれている。
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