
お抱え地蔵
修景広場横の坂道を少し上ったさきにあるお抱え地蔵。願い事を胸に祈りながら地蔵を抱え、想像したより軽ければ願い事が叶うといわれている。
- 「竹原駅」から徒歩16分
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修景広場横の坂道を少し上ったさきにあるお抱え地蔵。願い事を胸に祈りながら地蔵を抱え、想像したより軽ければ願い事が叶うといわれている。
中国地方最大級の浄楽寺・七ツ塚古墳群を含む約30万平方mを整備・保存した史跡公園。園内には復原古代住居や重要文化財旧真野家住宅などがあり、考古学や民俗学関係の資料を集めた広島県立歴史民俗資料館(料金200円、時間9時~16時30分入館、年末年始休み、月曜休館※祝日の場合は開館、翌日以降の最初の平日が休館)もある。常設展示では重要文化財矢谷古墳出土品をはじめ広島県を代表する原始古代の資料を展示している。
天正17年(1589)に毛利輝元が築城した城。鯉城[りじょう]とも呼ばれる。かつて国宝に指定されていた天守閣は、原爆投下によって倒壊。現在の5層天守閣は昭和33年(1958)の再建で、内部は武具の展示や武家文化、城下町広島を学べる歴史博物館になっている。近隣には広島城二の丸復元建物、広島城三の丸商業施設がある。
平和記念公園内にあり、正式名称は広島平和都市記念碑という。原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから埴輪の家型に設計され、昭和27年(1952)8月6日に建立。石室には30万8725人(2017年8月6日現在)の原爆死没者の名簿が納められ、正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれている。
原爆により亡くなった佐々木禎子さんの同級生のよびかけにより建てられた像。今も世界中から折り鶴が届く。
緑の木々を背景に、朱の色も鮮やかにそびえる五重塔の建立は、応永14年(1407)と伝えられている。高さ27m、唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く。初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には、金襴巻きの装飾画、壁には、極彩色の仏画が描かれている。
壇ノ浦の合戦で幼い安徳天皇を抱いて入水した清盛の妻・二位の尼(平時子)の遺体は、宮島の有之浦に流れ着いたといわれる。その二位の尼を偲んで有之浦に建てられた燈籠。
平清盛が一族の繁栄を祈願して、小石に経典の一文字を書いた一字一石経を埋めたとされる塚。経塚とも呼ばれている。昭和19年(1944)には銅製の経筒、中国宋時代の磁器、刀片などが発掘された。
戦艦大和を建造した旧海軍工廠の巨大なドック跡(現JMUの造船所)や旧呉鎮守府庁舎(現海上自衛隊呉地方総監部庁舎)などが見渡せる。
元和8年(1622)徳川家康の従兄弟・水野勝成[みずのかつなり]が福山十万石の領主となって築城。天守閣は昭和41年(1966)の再建で、博物館として公開している。京都の伏見城から移築されたという伏見櫓(重要文化財)と筋鉄御門[すじがねごもん](重要文化財)は往時の遺構。令和4年(2022)令和の大普請では全国で唯一となる天守北側壁面の鉄板張りが復元された。
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