
動員学徒慰霊塔
勤労奉仕に動員され原爆や空襲で亡くなった学徒の慰霊碑。モニュメント下にはさまざまな宗派をひとつに表した像が立つ。
- 「原爆ドーム前駅」から徒歩3分/「紙屋町西駅」から徒歩5分
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勤労奉仕に動員され原爆や空襲で亡くなった学徒の慰霊碑。モニュメント下にはさまざまな宗派をひとつに表した像が立つ。
江戸後期~明治期の豪商・旧江上家の主屋(登録有形文化財)と土蔵を利用した資料館。6つの建物に宮島の歴史・文化・民俗に係わる多彩な資料を展示。約500坪の敷地の中心にある庭園も魅力。
薪問屋、石炭問屋、製塩業、醸造業を営んでいた豪商の家。唐破風の円みを帯びた屋根、菱格子に塗籠の窓彫りをはめ込んだ出格子など、江戸末期の重厚華麗な浜旦那[はまだんな]の家として公開されている。
明治初期の質の高い住宅建築が竹原市の重要文化財に指定されている。主屋の他、離れや茶室、土蔵などが当時の面影そのままに残る。茶室は小堀遠州流の茶人、不二庵による設計。
おのみち文学の館の一つで、昭和8年(1933)暮れに病気療養のため尾道を訪れたアララギ派歌人中村憲吉終焉の家。外観のみの見学で、資料は文学記念室に展示されている。
昭和20年(1945)、福岡県星野村(現八女市星野村)の山本達雄さんが廃墟の広島から持ち帰り、現在も星野村で守り続けられている「平和の火」と、広島市の平和記念公園「平和の灯」を合わせて灯した火。
原爆犠牲者の霊を慰めるとともに、核兵器の廃絶を祈って建設。設計は建築家・丹下健三氏によるもので、平和記念公園内「平和の池」の北端にある。昭和39年(1964)8月1日、反核の願いを込めて灯された炎は今も燃え続けている。
B29「エノラ・ゲイ号」により投下された原子爆弾は、T字型の相生橋が投下目標とされていたが、実際には相生橋の南東300mにある島病院の上空約600mでさく裂した。建物の横には原爆被災説明板が設置されている。
和船の建造は砂浜で行われていたが、倉橋島では18世紀半ばに入江を改良した船渠を考案。潮の干満を利用して船を上げるもので、明治期に西洋型船も修理できるよう修築された。
広島県の建物百選にも名を連ねる昭和初期の木造洋風建築。頼春水の師で、江戸中期の儒学者・塩谷道碩[しおたにどうせき]の屋敷跡に立つ。竹原の塩田関連の資料を中心に歴史、文化、民俗資料を展示。レトロでモダンな洋館が古い町並みに映える。所要20分。
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