海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
構内は明治期のレンガ構造物や大正時代の石造の大講堂、昭和初期の教育参考館など、近代建築の博物館さながら。現在は海上自衛隊幹部候補生学校や第1術科学校に。定時見学1時間30分のガイドツアーも行われている。
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構内は明治期のレンガ構造物や大正時代の石造の大講堂、昭和初期の教育参考館など、近代建築の博物館さながら。現在は海上自衛隊幹部候補生学校や第1術科学校に。定時見学1時間30分のガイドツアーも行われている。
昭和4年(1929)、大阪の大正屋呉服店が建設したもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリートのモダンな建物だった。爆心地から170mの 至近距離で被爆。地下室を除いて全焼したが、建物としての基本的形態はとどめた。戦後は補修され、燃料会館として使用されていたが、昭和57年(1982)より、平和記念公園レストハウスとして使用され、1階には観光案内所や土産を扱う売店がある。地下室は被爆当時の姿を残し、見学もできる(要事前予約)。
原爆により亡くなった佐々木禎子さんの同級生のよびかけにより建てられた像。今も世界中から折り鶴が届く。
平清盛が伝えた舞楽が演じられる舞台。黒漆塗りの基壇に、朱塗りの高欄が廻らされているのが特徴。擬宝珠には天文15年(1546)、棚守房顕により寄進されたことが分かる刻銘がある。国宝。
大名や幕府要人などが宿泊に利用した広島藩領内9カ所のなかでも最大規模の御茶屋(本陣)。明治維新後は賀茂郡役所(後に賀茂地方事務所)となり、芸南地方の文化の中心地となった。現在は賀茂鶴酒造の敷地内にある。外観のみ見学可能。
明治初期の質の高い住宅建築が竹原市の重要文化財に指定されている。主屋の他、離れや茶室、土蔵などが当時の面影そのままに残る。茶室は小堀遠州流の茶人、不二庵による設計。
広島県の建物百選にも名を連ねる昭和初期の木造洋風建築。頼春水の師で、江戸中期の儒学者・塩谷道碩[しおたにどうせき]の屋敷跡に立つ。竹原の塩田関連の資料を中心に歴史、文化、民俗資料を展示。レトロでモダンな洋館が古い町並みに映える。所要20分。
おのみち文学の館の一つで、昭和8年(1933)暮れに病気療養のため尾道を訪れたアララギ派歌人中村憲吉終焉の家。外観のみの見学で、資料は文学記念室に展示されている。
永禄10年(1567)毛利元就の三男・小早川隆景が築いた平城の遺構。本丸をはじめ32の隅櫓、14の城門を築き、海に向かって開かれた船入と街道の入口に寺を配して、町全体が城郭兼軍港の機能を備えていた。現在は本丸跡をJR山陽本線が貫き石垣と濠が往時の名残をとどめる。
頼山陽の祖父、惟清の旧宅。惟清は染め物屋を営んでいた。惟清の子で三頼と呼ばれる俊才、春水[しゅんすい]、春風[しゅんぷう]、杏坪[きょうへい]の3兄弟もこの家で生まれている。建物は安永4年(1775)頃のもので、本瓦葺き、重層屋根、入母屋造、塗り籠の壁が特徴。
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