
香川家長屋門
吉香公園内にある、元禄期の建築と伝えられる旧岩国藩家老香川家の門。上級武家の屋敷のたたずまいを伝えている。
- 「川西(山口)駅」から徒歩24分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
吉香公園内にある、元禄期の建築と伝えられる旧岩国藩家老香川家の門。上級武家の屋敷のたたずまいを伝えている。
吉香公園背後、標高200mの城山山頂にそびえる天守は、桃山風南蛮造で3層4階の上に物見を置く珍しいもの。天守閣からは吉香公園、城下町、錦帯橋や岩国市内を一望することができる。天気が良い日には、宮島をはじめとする瀬戸内海の島々も眺めることができる。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区」。その江戸時代の白壁の商家の家並みが続く通りにある資料館は、「室屋」の屋号をもち、最盛期には50隻もの帆船を抱えた豪商・小田家の屋敷を利用したもの。元禄14年(1701)に建築された屋敷はこの町で最も古く、屋敷面積2561平方m、建坪1500平方mは現存する町屋で国内最大級。館内には小田家が使用していた商いの道具や生活用品を多数展示。山口県有形民俗文化財。所要30分。
延宝元年(1673)、吉川広嘉によって架けられた、アーチが美しい五連の木造橋(名勝)。長さ193.3m、幅5mで木組みの技法で造られており、日本三名橋のひとつといわれている。春は桜、夏は鵜飼、秋は城山の自然林の紅葉、冬は雪化粧と、「錦」の名の通り、四季折々の色彩豊かな景観が楽しめる。
吉香公園内にある、18世紀中ごろに建てられた170石取りの藩士の屋敷。入母屋造で一部2階建て、屋根には岩国独特の瓦である両袖瓦が葺かれており、式台付きの玄関や中間部屋などがある。中級武家屋敷がほぼ完全な形で残っているのは珍しく、国の重要文化財に指定されている。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』は湯野出身の弘中又一がモデルといわれている。夜市川ほとりには彼の幼少期をモチーフにした釣りをする坊っちゃん像が佇む。
港の警備、見張りのほか、越荷会所であつかう積荷の検査や税金の徴収を行っていた番所で、寛永9年(1632)に長島南西端の四代に置かれていたが、番所の老朽化と上関港の発展に伴い、正徳元年(1711)に朝鮮通信使のために建てた仮番所を公儀に願出、永久番所として四代から上関に移した。平成8年(1996)、高台である当時熊毛南高等学校上関分校(現在は廃校)の運動場横に移築された。山口県指定有形文化財である。
明治12年(1879)に建てられた、山口県内最古級の擬洋風建築。外国との海上交通で栄えた地ならではの凝った造り。窓にはフランス製のステンドグラス、3階の壁には唐獅子牡丹の漆黒彫刻、4階天井には鳳凰漆黒彫刻が残る。併設の上関町郷土史学習館では四階楼に関する資料の展示のほか、上関町の歴史をパネルや映像で紹介している。
菊屋家は毛利輝元に従って山口から移ってきた藩の御用商人で、大年寄格でもあった家。江戸初期に建てられたという主屋は広い座敷をもち、幕府からの使者が泊まる本陣として使われた。5470平方mという広い敷地内にはなまこ壁の蔵が立ち並び、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが国の重要文化財に指定されている。各部屋には藩主からの拝領品や古書、民具、衣装など約500点を展示。家の西側のなまこ壁が美しい小路は、菊屋横丁とよばれ「日本の名道100選」に選定されている。
温泉街の一角、明治の元勲・井上馨の生家跡を公園としたもの。幕末に京都の政変で都落ちしてきた、三条実美[さねとみ]ら七卿の宿舎にもなった。園内にはその記念碑や井上馨の銅像のほか、湯田温泉生まれの詩人・中原中也の詩『帰郷』の一節を刻んだ詩碑、一時湯田温泉に住んだ俳人・種田山頭火の句碑などが立ち、無料の足湯もある。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。