
岡御殿
藩政時代に材木業などで栄えた岡家の屋敷で高知県東部では最高の格式をもった書院造りの建物。藩主が参勤交代や東部巡視の時に本陣として使用していた。天保15年(1844)の建築。
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藩政時代に材木業などで栄えた岡家の屋敷で高知県東部では最高の格式をもった書院造りの建物。藩主が参勤交代や東部巡視の時に本陣として使用していた。天保15年(1844)の建築。
三層六階の天守をもつ平山城[ひらやまじろ]。初代土佐藩主・山内一豊が慶長6年(1601)に築城を開始。慶長16年(1611)、二代藩主・忠義の時に完成した。その後焼失したが、宝暦3年(1753)に再建。天守をはじめ、詰門[つめもん]や東西の多聞櫓[たもんやぐら]、黒鉄[くろがね]門は、いずれも重要文化財に指定されている。天守のある本丸は、全国で唯一天守・御殿などの建造物がセットで残る。追手門そばの板垣退助像や山内一豊像、その妻の千代像も見逃せない。
坂本龍馬は天保6年(1835)11月15日にこの地で誕生した。現在は記念碑が建っており、毎年11月15日には記念碑の前で龍馬誕生祭が行われる。
明治20年(1887)、この地の地主だった畠中源馬[はたけなかげんま]が自宅の屋根に作った櫓[やぐら]時計で、安芸のシンボル。時計に興味をもった源馬は、独学で原理を学び、分銅[ふんどう]や歯車もすべて自作した。内部は見学できない。
桂浜をのぞむ丘にあった浦戸城。本山氏が築き、のちに長宗我部元親が居城とした。三方が海に面し、敵からの守りは万全だった。
いかにも彌太郎らしい堂々とした姿の銅像。昭和59年(1984)、彌太郎の生誕150年を記念して募金活動を展開。目標額の3000万円をわずか1年で集めて建立された。
梼原の志士たちの脱藩を陰で支えた、財力豊かな神官・掛橋和泉の旧邸を移築。屋敷は同志たちの議論や密会の場になったという。
15代藩主・山内容堂[ようどう]が当地に下屋敷を建造した折、江戸時代末期の建築と推定される。2階建て入母屋造の武家長屋(重要文化財)を復元した資料館。2階では土佐藩船・夕顔丸の模型などを展示。
龍馬暗殺後、妻のお龍は一時、妹が嫁いだ芸西村で暮らした。その銅像は、形見のピストルで小鳥を撃って遊んだという浜(琴ケ浜)に立つ。
梼原ゆかりの志士たちをモチーフにした躍動感あふれる群像。掛橋和泉を中心に、向かって右に坂本龍馬ら、左に吉村虎太郎らを配置している。
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