
茶堂(茶や谷の茶堂)
藩政時代からあった旅人の休憩所で、梼原町内に13棟保存されている。この茶や谷の茶堂で、龍馬は足を休めたのだろうか。梼原から茶や谷まで、県道、町道経由で20分。
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藩政時代からあった旅人の休憩所で、梼原町内に13棟保存されている。この茶や谷の茶堂で、龍馬は足を休めたのだろうか。梼原から茶や谷まで、県道、町道経由で20分。
梼原ゆかりの志士たちをモチーフにした躍動感あふれる群像。掛橋和泉を中心に、向かって右に坂本龍馬ら、左に吉村虎太郎らを配置している。
近藤長次郎(1838-1866)は天保9年(1838)に餅菓子商「大里屋」の長男としてこの地に生まれる。文久2年(1862)、坂本龍馬と同様に勝海舟の門に入り、神戸海軍操練所を経て長崎で薩摩藩の周旋役として活躍する。長州藩のために薩摩藩名義でユニオン号の購入に尽力し、薩長同盟成立に大きく貢献するも、英国留学を計画していたことを責められ自刃したとされる。同郷であり、仲の良かった龍馬は嘆いたという。
土佐の戦国武将・長宗我部氏が居城とした岡豊城は、高知県のほぼ中央、高知平野北辺の国分川を望む標高97mの岡豊山に築かれた。岡豊城跡には、土を盛り上げた土塁[どるい]・石積みや竪堀[たてほり]などが残っており、四国の戦国期城郭を代表する遺跡として国史跡に指定されている。この城跡は2019年3月まで、毎週土・日曜、祝日にガイドが無料で案内してくれる。また、2019年2月まで詰[つめ]に設置する櫓[やぐら]からは長宗我部氏の目線で眺望を楽しめる。岡豊城は平成29年(2017)4月に「続日本100名城」に選出された。
天保5年(1834)に生まれた、三菱グループの創業者岩崎彌太郎の生家。生け垣を巡らした屋敷内に茅葺の母屋や、2階建て土蔵が残る当時の代表的な中農の造り。土蔵の鬼瓦には、岩崎家の紋で、後の三菱のマークの原型といわれる三階菱が見られる。また、庭には少年時代に彌太郎が造ったという日本列島の形をした石組みの石庭がある。
坂本龍馬は天保6年(1835)11月15日にこの地で誕生した。現在は記念碑が建っており、毎年11月15日には記念碑の前で龍馬誕生祭が行われる。
「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」とよさこい節でも歌われているはりまや橋。その始まりは江戸初期、堀川を挟んでいた御用商人の播磨屋と櫃屋[ひつや]が架けた私設の橋だった。藩政時代、町屋の中心であったはりまや橋は現在、はりまや橋・葉山庭園よさこい公園として整備され、昔の橋を再現。公園の地下通路では、昭和のはりまや橋や高知の観光スポットを紹介するパネル展示なども見ることができる。
桂浜をのぞむ丘にあった浦戸城。本山氏が築き、のちに長宗我部元親が居城とした。三方が海に面し、敵からの守りは万全だった。
佐川町出身の世界的植物学者・牧野富太郎博士に由来する、かつての佐川城趾古城山の高台の斜面にある公園。園内には牧野博士と、志士最後の生き証人田中光顕の墓碑がある。「さくら名所100選」に選ばれた桜の名所としても知られている。現在、桜のみならず、牧野博士ゆかりの山野草をはじめとする、さまざまな山野草を植栽し、四季を通じて楽しめる公園へと進化している。
明治時代、まるいち土佐紙株式会社が商談などに使用していた接待施設。茶室を思わせる建物は幕末から明治初期のもの。庭にある8基の碑はいの町の紙業界の功労者を顕彰したものだ。
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