
門倉岬
種子島の最南端に断崖状に突き出した岬。天文12年(1543)、この岬に1隻の異国船が漂着。この船に乗っていたポルトガル人が鉄砲を所持していたことから、日本に鉄砲が伝わることになる。岬周辺は公園として整備され、鉄砲伝来紀功碑と種子島最南端の地の碑に加え、南蛮船を模した造りの展望台も設けられている。なお、岬に至る直線道路の愛称は「海中ロード」。まるで海に向かって直進していくかのような気分になることからの命名といわれる。
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種子島の最南端に断崖状に突き出した岬。天文12年(1543)、この岬に1隻の異国船が漂着。この船に乗っていたポルトガル人が鉄砲を所持していたことから、日本に鉄砲が伝わることになる。岬周辺は公園として整備され、鉄砲伝来紀功碑と種子島最南端の地の碑に加え、南蛮船を模した造りの展望台も設けられている。なお、岬に至る直線道路の愛称は「海中ロード」。まるで海に向かって直進していくかのような気分になることからの命名といわれる。
日本の近代化に尽力した大久保利通の功績を讃え、彫刻家・中村晋也氏により製作された銅像。像の足元には、大久保が暗殺された際に一緒に亡くなったとされる馬車夫と馬の像も彫られている。
江戸城の無血開城をはじめ明治政府樹立に大きく貢献し、今も郷土の英雄として人気の西郷隆盛。この銅像は、没後50年を記念して昭和2年(1927)に建立が計画され、渋谷の忠犬ハチ公を制作した鹿児島市出身の彫刻家・安藤照が制作し、昭和12年(1937)に除幕された。台座を含めると約8mにもなる迫力の大きさ。
桜島の勇姿をパノラマで楽しみたいならおすすめなのがココ。広場の入口右手には巨大な桜島溶岩を刻んで積み上げた「叫びの像」がある。鹿児島出身の歌手、長渕剛さんが平成16年(2004)にここで開いたオールナイトコンサート記念のモニュメントだ。
奄美大島の伝統的な穀物貯蔵庫「高倉」。火災から守り、作業の利便性も考えられて集落の外れに集めて建てられていて、大和浜にのみ5棟が残っている。水やシロアリに強い木材イジュを、釘を使わず組み込んで建てられ、通気性がよく、ネズミが上れない構造になっている。貯蔵庫部分は茅葺き屋根の内側、つまり屋根裏部屋。この群倉は築100年を超えるといわれ、鹿児島県の有形文化財に指定されている。
天城町と徳之島町にまたがる地には、シドニーオリンピック金メダリスト・高橋尚子の練習コースに建てられた尚子ロード記念碑もある。碑には、現役時代の高橋尚子選手の姿や記録が刻まれている。
島津家18代家久が慶長6年(1601)頃に築いた居館の跡。天守閣をもたない珍しい造りは、鎌倉時代以来の武家の屋形造りの伝統を継承したもの。現在残っているのは石垣や石橋のみで、本丸跡の黎明館に隣接する鹿児島県立図書館は、二之丸跡。黎明館前庭には篤姫の像が立っている。
国の重要伝統的建造物群保存地区。麓[ふもと]とは、江戸時代に防衛上の必要から薩摩藩の外城[とじょう]として造った武家屋敷兼陣地のこと。なかでも出水麓は肥後との国境にあり、最大規模を誇った。その他、石垣や武家門や蔵が復元された竹添邸や、税所邸が一般公開されている。歴史ある町並みを観光牛車に揺られて観光できる。観光牛車は土・日曜、祝日運行(雨天運休)。出水麓は、令和元年(2019)5月に認定された日本遺産の構成文化財の一つ。
画家・田中一村は明治41年(1908)栃木県生まれ。南国・奄美の自然に魅いられて昭和33年(1958)、齢50にして奄美に移住。亜熱帯独特の動・植物を描き続けたが、その独特の世界は生涯認められなかった。清貧・孤高の生活を続け、69歳でこの家に移った10日後に死去。作品は「田中一村記念美術館」で見られる。
二ツ家民家とは居住用である「オモテ」と台所・土間の「ナカエ」を小さな棟で繋いだ、分離式民家のこと。知覧のものは棟をつなぐ形状が独特のL字型であることから、知覧型二ツ家民家と呼ばれている。移築復元したものが庭園のほぼ中央にあり、売店にもなっている。昭和57年(1982)指定、市文化財(建造物)。
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