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二ツ家民家とは居住用である「オモテ」と台所・土間の「ナカエ」を小さな棟で繋いだ、分離式民家のこと。知覧のものは棟をつなぐ形状が独特のL字型であることから、知覧型二ツ家民家と呼ばれている。移築復元したものが庭園のほぼ中央にあり、売店にもなっている。昭和57年(1982)指定、市文化財(建造物)。
寛永元年(1624)、第17代種子島忠時が内城(旧榕城中学校跡地)からここに城を移し、19代久基が山鹿流の築城法に基づいて整備した城跡。明治2年(1869)の版籍奉還まで、種子島島主・種子島家の居城になっていた。現在は榕城小学校になっている。
サンゴ礁で造られた琉球様式の墓。沖永良部島が与論島とともに琉球の北山王朝の支配下にあった15世紀頃の史跡だ。最奥部に、島主(世之主)として島を治めていた北山王の次男・真松千代[まちぢよ]とその家族の霊が眠っている。北山王と敵対関係にあった中山[ちゅうざん]王が沖永良部島に遣わした和睦船を、真松千代は来襲と思い、妻子を道連れに自害してしまったという話が残っている。
画家・田中一村は明治41年(1908)栃木県生まれ。南国・奄美の自然に魅いられて昭和33年(1958)、齢50にして奄美に移住。亜熱帯独特の動・植物を描き続けたが、その独特の世界は生涯認められなかった。清貧・孤高の生活を続け、69歳でこの家に移った10日後に死去。作品は「田中一村記念美術館」で見られる。
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