
二荒山神社
男体山(二荒山)の主神大己貴命[おおなむちのみこと]と、女峰山の神、田心姫命[たごりひめのみこと]と、太郎山の神、味耜高彦根命[あじすきたかひこねのみこと]を祀る。勝道上人の開創とされ中宮祠は中禅寺湖畔に、奥宮は男体山頂上にあり、本宮神社、滝尾神社は別宮。もとは日光三社権現の一つだったが、明治の神仏分離令によってここを本社にし、二荒山神社と称するようになった。南北朝期の大太刀など国宝に指定される宝物も所蔵。拝殿の左手、神苑には、化燈籠[ばけとうろう]や大国殿などがある。
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男体山(二荒山)の主神大己貴命[おおなむちのみこと]と、女峰山の神、田心姫命[たごりひめのみこと]と、太郎山の神、味耜高彦根命[あじすきたかひこねのみこと]を祀る。勝道上人の開創とされ中宮祠は中禅寺湖畔に、奥宮は男体山頂上にあり、本宮神社、滝尾神社は別宮。もとは日光三社権現の一つだったが、明治の神仏分離令によってここを本社にし、二荒山神社と称するようになった。南北朝期の大太刀など国宝に指定される宝物も所蔵。拝殿の左手、神苑には、化燈籠[ばけとうろう]や大国殿などがある。
二荒山神社神門をくぐると、正面にある。弥生祭をはじめ、日々の祭典、御祈祷などが行われる場所でもある。間口16m、奥行き12mの単層入母屋造の建物は、日光の殿堂の中では珍しく彫刻や文様がなく、簡素にして力強い。
二荒山神社本殿の透塀に沿って寄進された多くの石燈籠とともに並ぶ唐銅製の燈籠。夜更けに灯をともすと、ゆらゆらと怪しげな姿に変わるというので化燈籠の名がついた。警固の武士に斬りつけられた無数の刀傷が残る。
山の中腹に位置し、四季の草花に恵まれた、眺望のよい織姫公園内にある神社。昭和12年(1937)に再建。社殿は、緑に映える朱塗り。縁結びの神、産業振興の神として祀られており、パワースポットとして参詣する人も多くみられる。神社境内は、ハイキングコースにもなっており、多数のハイカーや、観光客が訪れる。社務所には、お守りや御朱印などがある。平成26年(2014)7月には「恋人の聖地」として認定された。
東照宮境内、陽明門の前に並び立つ櫓造の2棟の建物で、寛永の大造替の時に建てられた。左側が太鼓を置く鼓楼、右側が鐘を吊るす鐘楼で、江戸時代には、祭の始めに太鼓を、終わりには鐘を打っていたという。また、鐘楼の近くには、オランダから献上されたと伝えられる蓮燈籠[はすどうろう]と朝鮮から奉納されたという朝鮮鐘、鼓楼付近にもオランダから贈られた回転燈籠と釣燈籠があり、いずれも当時の各国との友好親善の象徴となっている。
東照宮大造替の際に建てられたもので、表門をくぐり右側から正面に鉤の手状に並んでいる。東大寺の正倉院と同じ校倉造[あぜくらづくり]、朱塗りの3棟の建物だ。手前から下神庫・中神庫・上神庫とよばれ、この三神庫には千人武者行列に使う1200人分の装束が収納されている。上神庫の妻には、黒と白の「想像の象」といわれる彫刻が飾られており、東照宮三彫刻の一つ。
日光山の本堂(重要文化財)にあたり、重層入母屋造、銅瓦葺、間口33.8m、奥行21.2m、伽藍全体に朱塗りを配した東日本最大の木造建造物。嘉祥元年(848)、慈覚大師により創建。元和3年(1617)、東照宮創建の際、二荒山神社の境内に移される。その後明治の神仏分離令により現在の地に移された。堂内には、日光三社権現の本地仏である千手観世音菩薩、阿弥陀如来、馬頭観世音菩薩の三仏が祀られている。
鬼怒川・川治温泉の守り神とされる龍王を祭った神社。龍王峡駅前の広場から九十九折りの石段を下って谷に入ったところにある。神社の背後には虹見の滝が水しぶきをあげ、渓谷の展望は抜群。
平安初期、慈覚大師の創建とされ、1000年以上の歴史を持つ。梅雨の頃には麓から1000段もの石段が続くあじさい坂を、可憐なアジサイが彩る。
大谷景観公園の北西約1km、標高376mの多気山の中腹には、多気不動尊がある。参道の桃畑茶屋にある名物「いも串」もぜひ。
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