
前橋東照宮
徳川家康公を御祭神として祀る前橋の東照宮。寛永元年(1624)、当時の松平藩主が越前勝山(福井県)で創建。江戸時代中期、前橋城へ入城したが、利根川の大洪水の被害を受け、川越に居住。その時に造営したものが、松平家の前橋帰城に伴い、明治4年(1871)現在の場所に移築された。開運・厄除、安産祈願、車清祓い、学業成就などさまざまなご利益で知られる。
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徳川家康公を御祭神として祀る前橋の東照宮。寛永元年(1624)、当時の松平藩主が越前勝山(福井県)で創建。江戸時代中期、前橋城へ入城したが、利根川の大洪水の被害を受け、川越に居住。その時に造営したものが、松平家の前橋帰城に伴い、明治4年(1871)現在の場所に移築された。開運・厄除、安産祈願、車清祓い、学業成就などさまざまなご利益で知られる。
正式名は大珠山 是字寺 龍海院。徳川家康の命により家臣・酒井重忠が建立したといわれる。重忠が前橋藩主になった際、川越よりこの地に移され、酒井家の菩提寺となった。境内には初代から15代まで一族の墓が並ぶ。4代忠清が建立したとされる本堂をはじめ、山門や鐘楼、位牌堂や禅堂、開山堂などがあり、往時の姿を今に残す。
奈良時代の高僧として有名な行基が開いたと伝わる寺。行基が病人のために祈って杖を突いたところ、地面から温泉が湧き出し、そこに堂を立てたのが寺の始まりという。湯畑の前から境内まで石段が続いており、石段の途中には温泉観音や不動尊などが祭られている。境内には薬師如来を祭る本堂、町の文化財指定の釈迦堂、芭蕉や一茶の句碑などがある。
ホテルグリーンプラザ軽井沢にある、美しい緑に囲まれたクラシカルな教会。木の温もりが優しい白亜の独立型チャペルで、専任外国人牧師による厳かで凛とした本格教会式を叶えよう。見学は要予約。
旧鎌原村は天明3年(1783)の浅間山大噴火の土石なだれで埋没した。村の高台にあった鎌原観音堂に避難した93人が奇跡的に助かったことから、厄よけ観音として信仰を集めてきた。かつて50段あった石段のうち土石なだれから免れた15段は今も残っている。
水澤観世音の名で親しまれる天台宗の古刹で、坂東三十三観音霊場の第十六番札所。飛鳥時代に推古天皇の勅願により開基された。現在の本堂は江戸中期のもので、伊香保姫の御持仏といわれる本尊の十一面千手観世音菩薩が安置されている。本堂の右手の六角堂(重要文化財)は、地蔵尊信仰を代表する建物。平成13年(2001)に建立された釈迦堂では釈迦三尊像などの仏像や仏画の数々を拝観できる。
妙義山の主峰、白雲山[はくうんさん]の山麓に建つ、創建約1500年の歴史を持つ神社。明治初めまで神仏習合で、妙義山信仰の霊地として徳川家にも深く信仰された。宝暦6年(1756)に建てられた黒漆塗銅葺権現造の本社と銅葺平入の唐門、総門は国の重要文化財に指定されている。建物に施された龍や鳳凰などの精巧で見事な彫刻は、江戸の彫刻師の手によるものと伝えられている。
石段を下ったところに社殿が立つ珍しい造りの神社。531年創建と伝わり、延喜式神名帳[えんぎしきじんみょうちょう]に名神大社として列せられている。本殿、拝殿、楼門は、徳川家光により再建され、国指定重要文化財となっている。近年、本殿・拝殿の修復が行われ、江戸時代初期の荘厳華麗な姿に復旧した。
高崎市の鼻高丘陵にある黄檗宗の寺院。室町時代末期から厄除けや縁結びにご利益のある観音菩薩像を祀った観音堂があり、そこに延宝8年(1680)、行者・一了居士が霊木で彫った達磨大師座禅像を安置したことから、達磨大師の霊地・少林山として知られるようになった。元禄10年(1697)、前橋城の裏鬼門を護るため、方位の災いを除くという北辰鎮宅霊符尊を本尊として開創。1月6・7日の「少林山七草大祭だるま市」は、江戸時代中期に第九代東獄和尚が木型を彫り、張子のだるまの作り方を村人に伝授、縁起物として売り出したことから始まる。星祭り御祈祷の関東随一の霊場で、境内には建築家ブルーノ・タウトが暮らした洗心亭もある。
365段の石段の頂上にある神社。温泉や医療、子宝などに御利益があるといわれる。古来より富岡の貫前神社、赤城山の赤城神社とともに、上野国三之宮として親しまれている。
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