
高崎白衣大観音
昭和11年(1936)に建立された高崎のシンボルで、登録有形文化財に指定されている。高崎市街の西方、観音山丘陵にあり、高さは約42m。肩の部分まで登ることができる。周辺は3000本の桜が植えられた桜の名所となっている。
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昭和11年(1936)に建立された高崎のシンボルで、登録有形文化財に指定されている。高崎市街の西方、観音山丘陵にあり、高さは約42m。肩の部分まで登ることができる。周辺は3000本の桜が植えられた桜の名所となっている。
寛永8年(1631)、幕府の命によって設けられた三国街道裏往還の関所を復元。当時の関所は間口5間のかやぶき屋根の建物だったとか。内部には、当時の通行手形や古文書、武具などが展示されている。
江戸時代初期に井伊直政[いいなおまさ]が築城。現在は乾櫓[いぬいやぐら]・東門の遺構が復元されているほか、外堀は桜の名所として親しまれている。城址一帯には、群馬音楽センターなど多くの文化施設のほか、21階建ての高崎市役所が立ち、最上階に無料展望ロビー(時間:8時30分~22時、休み:無休)もある。
前橋市東部に位置する公園で、国指定の前二子・中二子・後二子古墳が整備されており、赤城型民家(養蚕農家)が移築復元されている。豊かな歴史、自然に恵まれた公園として多くの人に親しまれている。
明治26年(1893)に建設された離宮。皇室の避暑施設として利用された。昭和27年(1952)に建物は焼失し、現在は群馬大学伊香保研修所の敷地となっている。玄関で使用された沓脱石が当時のままの場所に残る。
坂上田村麻呂が東征の帰途に「日本の臍石」と定めたといい伝えられる日本の中心標。その隣に立つ臍地蔵のへそを撫でると子宝に恵まれるといわれる。
国の重要文化財に指定された本館、別館、茶室からなる近代和風の木造建築物。数寄屋風造りの本館は明治17年(1884)に迎賓館として建てられ、明治天皇をはじめ多くの皇族が滞在した。書院風建築の別館は明治43年(1910)に一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた。
石段街の中腹に刻まれた文字に注目。これは大正4年(1915)に、女流歌人・与謝野晶子が発表した「伊香保の街」という詩。当時の温泉街の様子が偲ばれる。
奈良時代に置かれた国分寺の跡。敷地は国の指定史跡でガイダンス施設の上野国分寺館には20分の1スケールの七重塔の模型や出土品を展示する。
宝暦7年(1757)建立。全国的にも珍しいキスをしている相対道祖神のため、縁結びにご利益があるといわれている。
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