
瀬林の漣痕(恐竜の足跡)
高さ15m、幅11mの崖に、大小約50個の恐竜の足跡が残る。いずれも二足歩行の恐竜のものと思われ、大きなものは長さが57cm、深さは25cmある。崖は約1億2000万年前の中生代の地層で、その当時は海に面していたため、さざ波の漣痕[れんこん]模様が見られる。
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高さ15m、幅11mの崖に、大小約50個の恐竜の足跡が残る。いずれも二足歩行の恐竜のものと思われ、大きなものは長さが57cm、深さは25cmある。崖は約1億2000万年前の中生代の地層で、その当時は海に面していたため、さざ波の漣痕[れんこん]模様が見られる。
吹割の滝から遊歩道を150m北に進み、橋を渡ると浮島。アカマツに覆われた観音堂には、名工・左甚五郎[ひだりじんごろう]作と伝えられる木彫像の如意輪観音像が安置されている。
日本の近代医学発展に貢献するとともに、草津温泉をこよなく愛し世界に紹介したドイツ人医師・ベルツ博士と共同研究者・スクリバ博士の胸像。
参勤交代で中山道を通る大名が昼食などで利用した休憩所。代々名主を勤めた中島家の屋敷で、お西、お東の2軒の建物が並び、大黒柱や囲炉裏の間などが往時の面影を残す。妙義山を借景にした庭園も風情を見せて美しい。
小幡の城下町内に造られた用水路で、古い家並みと桜並木に沿って流れる。古くから生活・農業用水として大切にされ、歴代の城主は水奉行をおいて保護した。現在は、日本名水100選や日本の疏水100選、世界かんがい施設遺産に選定されている。毎年4月上旬にはさくら祭り「武者行列」が開催され、鎧兜に身を包んだ武士たちが満開の桜並木のもとを練り歩く。
小幡藩主織田信雄[のぶかつ]から7代信富[のぶよし]にいたる墓が、崇福寺[そうふくじ]の旧境内に歴代順に並ぶ。崇福寺の2度の火災により、5代以降の墓は破損している。
JR本庄駅の東北、利根川にほど近い地にある豪壮な造りの住宅。伊勢崎市境島村地区は、江戸時代中期から蚕の卵である蚕種[さんしゅ]製造の盛んな地。田島家も蚕種製造農家の1つで、弥平は明治初期に近代養蚕法「清涼育[せいりょういく]」を大成した功労者。文久3年(1863)建築の主屋は、換気設備の越屋根とも呼ばれるヤグラ付きの総2階建てで、1階が住居、2階が蚕室。蚕の飼育に自然の通風を取り入れた近代養蚕農家建築の原点となった建物として国指定史跡、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産になっている。見学は庭及び桑場1階までで、個人住宅のため充分な配慮を。近くの田島弥平旧宅案内所では無料のガイドも。
安中城址に復元された江戸時代の建物。領内の農民を治めていた郡奉行役の家を、古文書類をもとに平成6年(1994)に復元したもので、座敷や上段の間などが当時の雰囲気を伝える。すぐ近くには家臣の住んでいた武家長屋も復元されている。4軒続きの長屋の全長は約47m。所要30分。
松井田~軽井沢間にある交通の難所・碓氷峠を行き来した旧信越本線の鉄道施設。アプト式と呼ばれる運転方式が採用され、約70年運用された。丸山変電所は、大正元年(1912)の電化時の建設。蓄電室と機械室からなるレンガ造りの建物だ。現在はかつての鉄道路線が遊歩道「アプトの道」に。数多くの橋梁や隧道と共に国の指定重要文化財「碓氷峠鉄道施設」の1つとされている。遊歩道「アプトの道」上にあるため、車では直接アクセスできない。
この記念館は、昭和9年(1934)桐生織物同業組合の事務所として建設された建物。平成9年(1997)に国(文化庁)の登録有形文化財、平成28年(2016)に日本遺産として、また、経済産業省の近代化産業遺産にも平成19年(2007)認定されている。織物記念館2階の織物資料展示室では、桐生織物の歴史や製造工程などについてもビデオ観賞でき、伝統的工芸品「桐生織」の製品や古い手織り機・織物道具なども展示されている。1階の展示販売場では和装・洋装のそれぞれのブースが設けられ桐生織物製品が展示販売されている。月に一度企画展を開催している。
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