碓氷関所跡
上州と信州の国境にある関所跡。当時、江戸を守るために「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。門柱2本と門扉、屋根材、台石は当時に使用されていたものだ。令和7年(2025)3月、この横川の碓氷関所跡と、坂本宿の西方から碓氷峠の熊野神社までの約8kmが国指定史跡「中山道」に追加指定された。
- 「横川(群馬)駅」から徒歩8分
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上州と信州の国境にある関所跡。当時、江戸を守るために「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。門柱2本と門扉、屋根材、台石は当時に使用されていたものだ。令和7年(2025)3月、この横川の碓氷関所跡と、坂本宿の西方から碓氷峠の熊野神社までの約8kmが国指定史跡「中山道」に追加指定された。
室町時代に足利将軍の直参[じきさん]として仕えた彦部信勝[ひこべのぶかつ]は、永禄4年(1561)に当地に屋敷を構えた。周囲に堀を巡らせた東西130m、南北160mの敷地内に国の重要文化財の主屋[おもや]、長屋門、冬住み、穀倉[こくぐら]、文庫倉などが立つ。現在も敷地内に彦部家の子孫が住んでいる。ボランティアによる屋敷案内あり、所要40分。
木骨石積レンガタイル張りの旧大間々銀行の建物を利用した総合博物館。1mmにも満たない微化石コノドントや高津戸城、銅山街道など、この地方の自然や歴史民俗を総合的に展示している。恐竜コーナー、立体映像のほかバラエティに富む企画展も好評。現存する銀行建築としては県下で3番目に古いという、大正ロマン香るレトロな建物も見どころだ。
安中城址に復元された江戸時代の建物。領内の農民を治めていた郡奉行役の家を、古文書類をもとに平成6年(1994)に復元したもので、座敷や上段の間などが当時の雰囲気を伝える。すぐ近くには家臣の住んでいた武家長屋も復元されている。4軒続きの長屋の全長は約47m。所要30分。
室町時代の小幡氏にはじまり、織田氏、松平氏の支配下に栄えてきた小幡藩の城下町。織田信長の次男・信雄[のぶかつ]が小幡織田藩の藩祖で元名元年(1615)から明和4年(1767)にかけて8代152年にわたって統治した。現在も幅14mの中小路に武家屋敷の白壁が続く。なかには下級武士が上級武士から身を隠すためのものともいわれる、道が2回直角に折れた喰い違い郭[くるわ]などが残る。
江戸と越後を結ぶ三国街道に寛永8年(1631)に置かれた関所の跡。敷地内に立つ茅葺きの建物は当時建てられた役宅で、群馬県の史跡に指定されている。現在は猿ケ京関所資料館として古地図や旅の小道具、通行手形などを展示。江戸時代の旅の様子を知ることができる。
安中藩出身の明治時代の教育家で、同志社大学を創設した新島襄ゆかりの家。明治7年(1874)に米国から帰国した際、この地で両親と再会を果たした。展示室には写真や資料が展示されている。
交通の難所である松井田と軽井沢の間の碓氷峠を行き来した旧信越本線の橋梁。アプト式と呼ばれる運転方式が採用され、約70年運用された。通称「めがね橋」と呼ばれる碓氷第三橋梁は、明治26年(1893)に造られたレンガ造りのアーチ橋で、高さ31m、長さ91mの大きなもの。現在はかつての鉄道路線が遊歩道「アプトの道」として整備されており、この橋も歩いて渡ることができる。国指定重要文化財「碓氷峠鉄道施設」の1つ。
江戸時代に代々総代を務めた黒澤家の住宅(重要文化財)。19世紀中頃の建築といわれ、正面21.9m、側面16mの2階建て、板葺きの切妻建築で、総代としての特徴をよく残している。玄関は代官を迎えるためのものと、村の行事に利用されたものと大戸口の3カ所があり、客座敷は4部屋、囲炉裏のある茶の間は31畳半もの広さがある。内部見学ができ、養蚕に使われていた2階には、上野村の民俗資料が展示されている。所要20分。
松井田~軽井沢間にある交通の難所・碓氷峠を行き来した旧信越本線の鉄道施設。アプト式と呼ばれる運転方式が採用され、約70年運用された。丸山変電所は、大正元年(1912)の電化時の建設。蓄電室と機械室からなるレンガ造りの建物だ。現在はかつての鉄道路線が遊歩道「アプトの道」に。数多くの橋梁や隧道と共に国の指定重要文化財「碓氷峠鉄道施設」の1つとされている。遊歩道「アプトの道」上にあるため、車では直接アクセスできない。
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