
徳川八代将軍御汲上げの碑
江戸幕府八代将軍、徳川吉宗が江戸に数回湯を運ばせ入浴したため、その記念として建立したもの。
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江戸幕府八代将軍、徳川吉宗が江戸に数回湯を運ばせ入浴したため、その記念として建立したもの。
かつて信州街道の要所だった関所の跡地。国定忠次がこの関所を破り、のちにはりつけに遭ったことでも有名。併設の八角堂は休憩スペースとして利用できる。
室町時代の小幡氏にはじまり、織田氏、松平氏の支配下に栄えてきた小幡藩の城下町。織田信長の次男・信雄[のぶかつ]が小幡織田藩の藩祖で元名元年(1615)から明和4年(1767)にかけて8代152年にわたって統治した。現在も幅14mの中小路に武家屋敷の白壁が続く。なかには下級武士が上級武士から身を隠すためのものともいわれる、道が2回直角に折れた喰い違い郭[くるわ]などが残る。
宝暦7年(1757)建立。全国的にも珍しいキスをしている相対道祖神のため、縁結びにご利益があるといわれている。
交通の難所である松井田と軽井沢の間の碓氷峠を行き来した旧信越本線の橋梁。アプト式と呼ばれる運転方式が採用され、約70年運用された。通称「めがね橋」と呼ばれる碓氷第三橋梁は、明治26年(1893)に造られたレンガ造りのアーチ橋で、高さ31m、長さ91mの大きなもの。現在はかつての鉄道路線が遊歩道「アプトの道」として整備されており、この橋も歩いて渡ることができる。国指定重要文化財「碓氷峠鉄道施設」の1つ。
江戸時代初期に井伊直政[いいなおまさ]が築城。現在は乾櫓[いぬいやぐら]・東門の遺構が復元されているほか、外堀は桜の名所として親しまれている。城址一帯には、群馬音楽センターなど多くの文化施設のほか、21階建ての高崎市役所が立ち、最上階に無料展望ロビー(時間:8時30分~22時、休み:無休)もある。
明治26年(1893)に建設された離宮。皇室の避暑施設として利用された。昭和27年(1952)に建物は焼失し、現在は群馬大学伊香保研修所の敷地となっている。玄関で使用された沓脱石が当時のままの場所に残る。
日本の近代医学発展に貢献するとともに、草津温泉をこよなく愛し世界に紹介したドイツ人医師・ベルツ博士と共同研究者・スクリバ博士の胸像。
高さ15m、幅11mの崖に、大小約50個の恐竜の足跡が残る。いずれも二足歩行の恐竜のものと思われ、大きなものは長さが57cm、深さは25cmある。崖は約1億2000万年前の中生代の地層で、その当時は海に面していたため、さざ波の漣痕[れんこん]模様が見られる。
標高約680mと高地にあり、古くから養蚕業が盛んだった赤岩地区は、今なお幕末や明治期に建てられた養蚕農家が数多く残る。ほかに小屋や蔵、石垣、お宮やお堂の配置、森林環境と、江戸時代から変わらない景観を見ることができる。平成18年(2006)には群馬県では初となる「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
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