旧黒澤家住宅
江戸時代に代々総代を務めた黒澤家の住宅(重要文化財)。19世紀中頃の建築といわれ、正面21.9m、側面16mの2階建て、板葺きの切妻建築で、総代としての特徴をよく残している。玄関は代官を迎えるためのものと、村の行事に利用されたものと大戸口の3カ所があり、客座敷は4部屋、囲炉裏のある茶の間は31畳半もの広さがある。内部見学ができ、養蚕に使われていた2階には、上野村の民俗資料が展示されている。所要20分。
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江戸時代に代々総代を務めた黒澤家の住宅(重要文化財)。19世紀中頃の建築といわれ、正面21.9m、側面16mの2階建て、板葺きの切妻建築で、総代としての特徴をよく残している。玄関は代官を迎えるためのものと、村の行事に利用されたものと大戸口の3カ所があり、客座敷は4部屋、囲炉裏のある茶の間は31畳半もの広さがある。内部見学ができ、養蚕に使われていた2階には、上野村の民俗資料が展示されている。所要20分。
徳川8代将軍吉宗は草津の温泉を汲み上げ、樽に詰めて江戸まで運ばせたが、その際の汲み上げ場所を示す木枠。
坂上田村麻呂が東征の帰途に「日本の臍石」と定めたといい伝えられる日本の中心標。その隣に立つ臍地蔵のへそを撫でると子宝に恵まれるといわれる。
明治26年(1893)に建設された離宮。皇室の避暑施設として利用された。昭和27年(1952)に建物は焼失し、現在は群馬大学伊香保研修所の敷地となっている。玄関で使用された沓脱石が当時のままの場所に残る。
松井田~軽井沢間にある交通の難所・碓氷峠を行き来した旧信越本線の鉄道施設。アプト式と呼ばれる運転方式が採用され、約70年運用された。丸山変電所は、大正元年(1912)の電化時の建設。蓄電室と機械室からなるレンガ造りの建物だ。現在はかつての鉄道路線が遊歩道「アプトの道」に。数多くの橋梁や隧道と共に国の指定重要文化財「碓氷峠鉄道施設」の1つとされている。遊歩道「アプトの道」上にあるため、車では直接アクセスできない。
平成26年(2014)6月に世界遺産に登録された文化遺産。群馬県富岡市の富岡製糸場を筆頭に、伊勢崎市、藤岡市、下仁田町の3市1町に点在する4件の養蚕・製糸関連の文化財によって構成される。群馬県一帯は古くから養蚕・製糸業、絹織物業が盛んだったところ。明治初期に官営模範工場として富岡製糸場が開業したことから、日本の製糸業の発展が急速に始まった。近代養蚕法開発者のひとりである伊勢崎市の田島弥平の旧宅は近代養蚕農家の原型といえる豪壮な建物。同じく近代養蚕法を確立し養蚕業の知識や技術の普及に貢献した藤岡市の高山社跡、下仁田町の日本最大規模の蚕種貯蔵施設荒船風穴と、いずれも貴重な絹産業の遺産。
約400年前に建てられた堂。三間四方の茅葺き屋根に唐風様式の建築は、重厚な雰囲気。堂内には温泉で病気を治す祈願を込めた薬師如来が安置されている。堂の隣りにある「御夢想[ごむそう]の湯」(9~15時)は、無料で利用できる共同浴場で、地元の人にも愛用されている。
ベルツ博士胸像の傍らに建つこの句碑は、俳人 水原秋桜子がベルツ博士の遺徳をたたえて詠んだものである。
生糸などを保管するために大正15年(1926)に建設されたレンガ倉庫で、「近代化産業遺産」「ぐんま絹遺産」「日本遺産」に認定されている。現在は町の歴史民俗資料館として利用されており、養蚕資料や道具、小幡氏紋付赤備具足、円空の木彫仏像などが展示されている。
国の重要文化財に指定された本館、別館、茶室からなる近代和風の木造建築物。数寄屋風造りの本館は明治17年(1884)に迎賓館として建てられ、明治天皇をはじめ多くの皇族が滞在した。書院風建築の別館は明治43年(1910)に一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた。
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