
ながめ余興場
高津戸峡のすぐ近くに建つ昭和12年(1937)建築の芝居小屋。昭和20~30年代には多くの大物流行歌手が舞台を踏んだが、昭和62年(1987)に閉鎖。近年、文化財としての価値が見直され復元された。舞台休演日には、廻り舞台など内部見学が可能。有料で劇場を利用することもできる。みどり市指定重要文化財。
- 「大間々駅」から徒歩4分/「赤城駅」から徒歩19分
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高津戸峡のすぐ近くに建つ昭和12年(1937)建築の芝居小屋。昭和20~30年代には多くの大物流行歌手が舞台を踏んだが、昭和62年(1987)に閉鎖。近年、文化財としての価値が見直され復元された。舞台休演日には、廻り舞台など内部見学が可能。有料で劇場を利用することもできる。みどり市指定重要文化財。
岩松家純[いわまついえずみ]が築城したとされる戦国時代の山城。上杉謙信、武田勝頼などの再三にわたる攻略にも揺るがなかった堅城として名高い。現在も堀や石垣の一部が残っているほか、発掘調査により日ノ池や石敷き通路などが復元されている。
明治20年(1887)に建てられた木造2階建て、茅葺き両妻兜造の中・上層の民家。雲越家9代目仙太郎が昭和55年(1980)82歳で亡くなるまでここで自給自足の生活をしていた。その間の資料約5300点をそのまま展示。地域の生活を丸ごと伝える民俗資料として、大変貴重なものとなっている。所要30分。
昭和8年(1933)、輝子夫人とともに草津を訪れた齋藤茂吉が、この西の河原について詠んだ歌が刻まれている。
近代養蚕技術の基本となった養蚕法「清温育」を創始した高山社発祥の地。母屋兼蚕室のほか、蚕室跡の石垣、江戸期の長屋門などが残る。
江戸と越後を結ぶ三国街道に寛永8年(1631)に置かれた関所の跡。敷地内に立つ茅葺きの建物は当時建てられた役宅で、群馬県の史跡に指定されている。現在は猿ケ京関所資料館として古地図や旅の小道具、通行手形などを展示。江戸時代の旅の様子を知ることができる。
上州と信州の国境にある関所跡。当時、江戸を守るために「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。門柱2本と門扉、屋根材、台石は当時に使用されていたものだ。令和7年(2025)3月、この横川の碓氷関所跡と、坂本宿の西方から碓氷峠の熊野神社までの約8kmが国指定史跡「中山道」に追加指定された。
昭和3年(1928)の開業当時の姿を残す電車庫をはじめ、希少な電車や電気機関車などを間近で見学できる。
標高約680mと高地にあり、古くから養蚕業が盛んだった赤岩地区は、今なお幕末や明治期に建てられた養蚕農家が数多く残る。ほかに小屋や蔵、石垣、お宮やお堂の配置、森林環境と、江戸時代から変わらない景観を見ることができる。平成18年(2006)には群馬県では初となる「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
交通の難所である松井田と軽井沢の間の碓氷峠を行き来した旧信越本線の橋梁。アプト式と呼ばれる運転方式が採用され、約70年運用された。通称「めがね橋」と呼ばれる碓氷第三橋梁は、明治26年(1893)に造られたレンガ造りのアーチ橋で、高さ31m、長さ91mの大きなもの。現在はかつての鉄道路線が遊歩道「アプトの道」として整備されており、この橋も歩いて渡ることができる。国指定重要文化財「碓氷峠鉄道施設」の1つ。
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