
石薬師寺
歌川広重の東海道五十三次にも描かれた真言宗の名刹。厄除け祈願の寺として知られる。本尊の石薬師は神亀年間(724~29)に、泰澄[たいちょう]が地底から巨石を発見し、のちに弘法大師が薬師如来を彫ったもの。毎年12月20日、煤払いのために開扉される。
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歌川広重の東海道五十三次にも描かれた真言宗の名刹。厄除け祈願の寺として知られる。本尊の石薬師は神亀年間(724~29)に、泰澄[たいちょう]が地底から巨石を発見し、のちに弘法大師が薬師如来を彫ったもの。毎年12月20日、煤払いのために開扉される。
結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
子授けと安産に霊験あらたかな白衣観世音[びゃくえかんぜおん]を本尊とする真言宗の古刹。境内にある不断桜は、四季を通して葉がつき、開花期も10~4月と長い珍しい桜で、国の天然記念物に指定されている。
行基が開いた真言宗の寺。明治初期までは伊奈富[いのう]神社の別当寺だった。本堂前の収蔵庫には、木造の薬師如来立像、持国天立像、多聞天立像、淳和天皇の像(いずれも重要文化財)を安置している。本堂には深沙大将(三重県文化財)を安置、収蔵庫前には鈴鹿市登録地域景観資産登録承認(樹)第1号の大ソテツがある。仏像拝観は事前に申込みを。ただし雨天の日は拝観不可。
日本武尊[やまとたけるのみこと]を祭っている。社殿の北西にある円形の墳墓は、日本武尊の墓と伝えられる白鳥塚古墳。4月上旬、境内はムラサキツツジに彩られる。
僧兵まつりで有名だが、最近は恋愛成就の寺としても知られる。小石に二人の名前を書いて徒歩3分ほどの大石公園に奉納すれば恋が叶うとか。
もとは貝石山の8合目に祭られていたが安土桃山時代に現在地に移された。大己貴命と少彦名命を温泉大明神として祭る。恋の明神としても知られており、大黒様の恋こ槌[こいこづち]にふれると恋のパワーがアップするなどと言われている。
松坂市の西、伊勢国司北畠氏の本拠地だった美杉地区にある、江戸時代前期に創建された神社。北畠氏の館があったところで、庭園にその名残をとどめている。
仁侠史最大の大出入りといわれる「荒神山の喧嘩」の舞台として有名な真言宗御室派の寺院。十一面観音菩薩を祭る本堂のほか、勝負師の信奉が厚い奥ノ院、春日局が寄進した釣鐘などがある。
長い階段を登った、小高い丘の上にある。猿田彦命を祭り、伊勢神宮の外宮とかかわりが深い。縁起にかかわる神宝の多くは安政元年(1854)の津波で流失し、現在は仙宮秘文のみが残っている。絵馬殿には百人一首や天の岩戸にちなむ色鮮やかな絵画が奉納されており、見ごたえがある。
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