
仙遊寺
大王埼灯台に行く途中にある。戦国時代、水軍を指揮していた九鬼一族の先祖のものとされる五輪塔が境内に立つ。九鬼氏は波切出身とされており、三代守隆[もりたか]から五代定隆[さだたか]までの名が碑銘として刻まれている。
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大王埼灯台に行く途中にある。戦国時代、水軍を指揮していた九鬼一族の先祖のものとされる五輪塔が境内に立つ。九鬼氏は波切出身とされており、三代守隆[もりたか]から五代定隆[さだたか]までの名が碑銘として刻まれている。
大智院は、長島藩主・松平定政[まつだいらさだまさ]公の祈願所として建立された寺で、本尊は不動明王を祭る。芭蕉にゆかりのある寺としても知られ、元禄2年(1689)芭蕉が旅の途中に立ち寄り、その折にあいさつとして詠んだ「うき我を さびしからせよ 秋の寺」という句が刻まれた碑が残る。
仁侠史最大の大出入りといわれる「荒神山の喧嘩」の舞台として有名な真言宗御室派の寺院。十一面観音菩薩を祭る本堂のほか、勝負師の信奉が厚い奥ノ院、春日局が寄進した釣鐘などがある。
境内にある赤羽不動堂[あかばふどうどう]の天井に描かれた極彩色の格子絵で知られる曹洞宗の寺。天井が143の格子に区切られ、それぞれに百歌仙の歌と絵を極彩色で描いた絵馬がはめられている。格子絵は江戸時代後期に地元の人々によって奉納されたもので、町の文化財に指定されている。
高さ45m、幅80mの巨石を御神体とする神社。『日本書紀』に登場する国生み神話の伊弉冉尊[いざなみのみこと]を葬った有馬村は、この花の窟であるといわれている。毎年2月2日と10月2日の例大祭には岩の頂から縄をかける、お綱かけの神事が行われる。
海で働く人々の守り神、綿津見神[わたつみのかみ]を祭る神社。三島由紀夫の小説『潮騒』の冒頭、主人公の新治が一気に駆け上がった214段の石段を上がりきれば、境内を囲む松林の向こうに海の景色が広がっている。
御座にある爪切不動尊の境内には本堂、大師堂、薬師堂などがある。本尊は、弘法大師がこの地の自然石に自らの爪で刻んだと伝えられる不動明王。絶対秘仏とされている。また、さすると悪いところが治るとされるなで石が有名。
奈良時代に開創された古刹。天平時代に造られた本尊は、かの織田信長も平伏したと伝えられる。本堂は大正6年(1917)に再建され、内部大間の天井は156枚の絵をはめ込んだ珍しい絵天井造りだ。鎮守の毘沙門天は勢州七福神の札所のひとつ。
学問と文芸の神様を祀る神社。別名を上野天神宮ともいう。慶長16年(1611)、伊賀上野城とともに藤堂高虎が再建。29歳の芭蕉が江戸に発つにあたって、処女句集『貝おほひ』を奉納しており、鳥居横には芭蕉の句碑もある。伊賀市最大の祭礼、上野天神祭はこの神社の秋祭りだ。
行基が開いた真言宗の寺。明治初期までは伊奈富[いのう]神社の別当寺だった。本堂前の収蔵庫には、木造の薬師如来立像、持国天立像、多聞天立像、淳和天皇の像(いずれも重要文化財)を安置している。本堂には深沙大将(三重県文化財)を安置、収蔵庫前には鈴鹿市登録地域景観資産登録承認(樹)第1号の大ソテツがある。仏像拝観は事前に申込みを。ただし雨天の日は拝観不可。
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