
津観音(恵日山観音寺)
浅草、大須と並び日本三観音のひとつに数えられる真言宗の古刹。第9代住職が秀吉の書の手習いの師範であり、かつての仁王門は江の長男・家光の病気平癒のために建てられたなど、幕府をはじめ朝廷の祈願所として信仰された。
- 「津新町駅」から徒歩23分
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浅草、大須と並び日本三観音のひとつに数えられる真言宗の古刹。第9代住職が秀吉の書の手習いの師範であり、かつての仁王門は江の長男・家光の病気平癒のために建てられたなど、幕府をはじめ朝廷の祈願所として信仰された。
結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
聖徳太子が建立したと伝わる4つの四天王寺のひとつ。織田信長、信包、お市の方の母であり、信包を頼って津城で過ごしていた土田御前が祭られている。穏やかな雰囲気の境内奥にひっそりと墓が立っている。
飯高諸氏が仁和元年(885)に建立。6.6mある本尊の十一面観音立像は重要文化財だ。開帳は日曜、祝日、毎月18日のみ。
熊野街道沿いの閑静な山里にある普賢寺は宗派のない単立寺院。本尊は国指定重要文化財(旧国宝)の普賢菩薩座像である。平安時代前期の作で、壇像彫刻風の貞観彫刻の優品。本一面観世音菩薩や千手観音金銅像なども拝見できる。仏像拝観の他に回向や祈願の相談もおこなう。拝観時は要予約。
奈良時代に開創された古刹。天平時代に造られた本尊は、かの織田信長も平伏したと伝えられる。本堂は大正6年(1917)に再建され、内部大間の天井は156枚の絵をはめ込んだ珍しい絵天井造りだ。鎮守の毘沙門天は勢州七福神の札所のひとつ。
役行者[えんのぎょうじゃ]が開創したと伝えられる霊場。裏手の伊勢山上は奇岩の連なる行場[ぎょうば]になっている。4月の山開き会式と10月の秋季大会式には、山伏姿の先達が昔ながらの行事を行い「火渡り」もある。
秋には参道や境内がモミジを中心とする赤い紅葉に彩られ情緒がある。春は桜の名所でもある。三重県の重要文化財に指定されている八角形の梵鐘でも有名。参道には、33体の観音像があり、西国33所巡りができる。国道166号からの参道は、道幅が狭いので注意が必要。
聖武天皇の勅願で天平15年(743)に建てられたと伝わる。本尊の如意輪観音が厄除けに霊験あらたかと信仰され、地元では「岡寺さん」とよばれて親しまれている。3月の初午[はつうま]大祭は、厄除けの人や開運祈願の参拝客で賑わう。これらの日に売られる厄除け玩具の猿はじきが珍しい。
斎宮駅の南側に、かつて人々が伊勢神宮に詣でた道、伊勢街道があり、その街道沿いに面して立っている。周辺から大規模な塀列や掘立柱の建物の跡が発掘されたため、斎宮の御殿があった場所ではないかとも考えられ、日本遺産に認定されている。
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