
椿大神社
鈴鹿山系の入道ケ岳の麓にあり、創建は大和時代と伝えられる古社。全国2500社におよぶ猿田彦大神を祀る神社の総本宮ともいわれる。杉の古木に囲まれた境内には、高山土公神陵とよばれる猿田彦大神の御陵、神水が流れ、お参りすると願いが叶うかなえ滝、松下電器産業の創始者・松下幸之助氏寄進の茶室などがある。
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鈴鹿山系の入道ケ岳の麓にあり、創建は大和時代と伝えられる古社。全国2500社におよぶ猿田彦大神を祀る神社の総本宮ともいわれる。杉の古木に囲まれた境内には、高山土公神陵とよばれる猿田彦大神の御陵、神水が流れ、お参りすると願いが叶うかなえ滝、松下電器産業の創始者・松下幸之助氏寄進の茶室などがある。
延喜式にも記されている古社。国の重要文化財に指定されている宝殿は一間社で、入母屋造の檜皮葺き。安土桃山時代の特徴を表し、朱塗りの建物に彫刻や彩色などが鮮やかで豪華だ。境内には、日本三大奇鐘の一つといわれる虫喰鐘[むしくいのかね]、地震除けの要石が鎮座する要石社[かなめいししゃ]もある。
外宮神苑にある勾玉型の池。6月には花菖蒲で彩られ、冬は野鴨の群れが羽を休める。中秋の名月には、奉納舞台で観月会も開催。
海の神様として知られる、四国の金比羅さんの分社。樋の山の頂上に位置し、鳥羽湾を一望。春は桜の名所として大勢の人が訪れる。
結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
天長2年(825)、弘法大師が朝熊山の金剛證寺を創建した際、奥の院として建てたと伝わる。戦国時代には、九鬼嘉隆が鳥羽城を築城する際に安全を祈願。鳥羽藩代々の祈願所となっていた。永禄4年(1561)建立の本堂(重要文化財)は、朱塗りの寄棟造に柿葺き。内部の格天井には、極彩色で花・天女・仏像が描かれている。鎮守堂(重要文化財)は柿葺きの一間社流造。「再興慶長十年…」などと書かれた棟札が残る。1月は鮮やかな濃い黄色の蝋梅、春には桜が楽しめ、秋は紅葉で色付く。加茂駅~金剛證寺のハイキングコースは所要4~5時間。
北条時頼の再建と伝えられる禅寺。本尊は阿弥陀如来像だが、時頼もここに祭られている。入口には、時頼がかつて境内にあった黒松を詠んだ歌碑も立つ。
行基上人によって天平12年(740)に開基されたといわれ、堂を見守るように立つ杉の巨木が印象的な寺。安置される十一面観音菩薩は、奈津観音ともよばれ親しまれている。またミニ西国三十三カ所めぐりもあり、観音堂横の石段から山腹にかけて地蔵めぐりができる。ここからは弁天島や海岸線の眺めがいい。
聖徳太子が建立したと伝わる4つの四天王寺のひとつ。織田信長、信包、お市の方の母であり、信包を頼って津城で過ごしていた土田御前が祭られている。穏やかな雰囲気の境内奥にひっそりと墓が立っている。
役行者[えんのぎょうじゃ]が開創したと伝えられる霊場。裏手の伊勢山上は奇岩の連なる行場[ぎょうば]になっている。4月の山開き会式と10月の秋季大会式には、山伏姿の先達が昔ながらの行事を行い「火渡り」もある。
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