
和具屋
創業は宝暦6年(1756)の問屋で、今も現役の蔵は築200年以上前のもの。旅人の世話をする伊勢神宮の御師の家であったため、江戸時代の旅の案内本や錦絵、陶器などが残る。伊勢まちかど博物館として公開。手押しトロッコは、64mのトロッコレールが倉庫へ続く。
- 「伊勢市駅」から徒歩13分/「宇治山田駅」から徒歩14分
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創業は宝暦6年(1756)の問屋で、今も現役の蔵は築200年以上前のもの。旅人の世話をする伊勢神宮の御師の家であったため、江戸時代の旅の案内本や錦絵、陶器などが残る。伊勢まちかど博物館として公開。手押しトロッコは、64mのトロッコレールが倉庫へ続く。
南北朝時代に設立された、岡田文庫を前身とする内宮の学舎。貞享3年(1686)に再興され、元禄3年(1690)に現在地へ移転。書庫・講堂・塾舎などがあり、神宮に参拝した学者たちが講義をしたり、著書を献納してきた。昭和29年(1954)に史跡に指定。所蔵図書は現在、神宮文庫に移されている。4月と9月の特定期間のみ一般公開。
天照大御神の鎮座する地を探し歩いていた倭姫命が、ここで鎧を脱いだという神話に由来する鎧埼。沖合は伊勢湾でも三大難所の一つに数えられるところであったため、この鎧埼灯台が早くから設けられた。灯台には入れないが、付近からの眺めは絶景で、岩礁に激しく波がぶつかり合うさまは壮観だ。
神宮参拝の皇族や各界要人の宿泊・休憩所として明治20年(1887)に建設された。豪華なシャンデリアを備えた120畳の大広間、輪島塗二重格天井が施された御殿の間など、贅を凝らした装飾や匠の技が随所に見られる。国の重要文化財。
九鬼嘉隆が文禄3年(1594)に築城した鳥羽城は、九鬼水軍の本拠地でもあった。往時は総面積が10万平方m以上もあったとされている。大手門が海側に突出した珍しい造りで、この門が海への出入口になっていた。当時の面影を思わせるものは、石垣の一部のみとなったが、現在は「海の見える公園」として整備されている。
戦国時代に水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は、関ケ原の合戦に敗れて答志島に逃走し、自刃する。「鳥羽城の見える地に」との遺言に従い、首は岬の頂上に、胴は麓に葬られた。首塚の石碑、胴塚の五輪の塔は、三重県の文化財に指定されている。
医者であり詩人であった伊良子清白。北原白秋や西条八十とも交流がり、この家を訪れている。その居宅兼診療所が平成21年(2009)、マリンパークに移築された。建物には診察室のほか、居間や客間などが残る。
明治43年(1910)に建てられた純白の灯台で、今も伊良湖水道の安全を守り続けている。内部の見学はできないが、渥美半島・篠島・佐久島・日間賀島に加え、はるか知多半島まで見渡すことができる。
かどやは江戸期に大庄屋もつとめた廣野家の旧宅。主屋は文政8年(1825)に建てられたもので、修理後に平成25年(2013)5月1日から観光客と市民の交流センターとして開館。廣野家が薬屋を営んでいた時の資料を公開している。
町の中央にある小高い丘は「恵比寿丘」と呼ばれ、豊漁と海上安全、商売繁昌を祈願して大きな恵比寿像が建てられている。この像は名のとおり、いつも鼻が欠けている。これはハナ(端を取る)=先を制すにかけて、地元の人が持っていってしまうから。毎年新しい鼻が付けられる1月20日の初えびすの日には、地元の人に観光客も参加し、初笑い神事が開催される。
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