春岳院
大和郡山の町中に佇む秀長の菩提寺。旧寺号は東光寺と称し、春岳院の名は秀長の戒名による。本堂は正徳元年(1711)の再建。寺宝に足利尊氏の念持仏という千手観音を伝え、狩野貞信[かのうさだのぶ]筆の秀長画像などもある。秀長統治時代の郡山を知る資料も数多く伝える。拝観は事前に連絡を。
- 「近鉄郡山駅」から徒歩10分/「郡山(奈良)駅」から徒歩11分
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大和郡山の町中に佇む秀長の菩提寺。旧寺号は東光寺と称し、春岳院の名は秀長の戒名による。本堂は正徳元年(1711)の再建。寺宝に足利尊氏の念持仏という千手観音を伝え、狩野貞信[かのうさだのぶ]筆の秀長画像などもある。秀長統治時代の郡山を知る資料も数多く伝える。拝観は事前に連絡を。
畝傍山[うねびやま]の麓に位置し、第一代天皇の神武天皇と皇后を祀る。神武天皇が畝傍山東南の橿原宮で即位したという『日本書紀』の記述に基づき、明治23年(1890)に創建。本殿(重要文化財)は京都御所の内侍所[ないしどころ](賢所[かしこどころ])を移築したもので、手前に内拝殿、外拝殿が立つ。神域は約53万平方mにおよび、玉砂利が敷き詰められた内拝殿前の外院斎庭も清々しい。
和爾下神社古墳の後円部に立ち、本殿(重要文化財)は桃山時代の建築様式を残す。付近は古代豪族、和爾氏の本拠地と伝わり、和爾氏の祖神を祭っている。神社の境内には柿本人麻呂の墓といわれる、歌塚と刻まれた石碑が立つ。
平重盛[たいらのしげもり]によって平安末期に創建されたと伝わる古刹。本堂に藤原時代作の本尊薬師三尊像を安置する。ボタンの名所としても知られ、季節には100種1000株の艶やかなボタンが咲き誇る。ツツジ、大山レンゲや小菊も美しい。
世界遺産 延喜式内大社名神大社。吉野山の奥千本にひっそりと立つ古社で、金峯山(吉野山から大峯山上ケ岳一帯)の地主の神。金精明神[こんしょうみょうじん]ともよばれる金山毘古神[かなやまひこのかみ]を祀る世界遺産の神社。中世以降、修験道の行場として知られる。藤原道長が参詣し埋納した金銅製の経筒(国宝)が江戸時代に発掘された。社殿を少し下った所に、追っ手に追われた源義経が身を隠したという義経隠れ塔が残る。追っ手に囲まれた際、屋根を蹴破って逃げたことから、蹴抜けの塔ともいわれる。
唐招提寺にある、現存する天平建築最大の豪壮な建物。鑑真和上の死後、弟子の如宝が建立したと伝える。正面7間、側面4間の寄棟造。大棟の両端に鴟尾[しび]を飾った大屋根、エンタシスといわれる前面の列柱には荘重感がある。千体仏を背負った高さ3mの本尊盧舎那仏坐像(国宝)の左右に、953本の手をもつ5.4mの千手観音立像(国宝)と、像高3.36mの薬師如来立像(国宝)が並ぶ。
修験道の開祖・役行者[えんのぎょうじゃ]の生誕地で、左義長や薬の発祥地と伝えられる。堂内には不動明王を中心とする五大明王が本尊として祀られ、役行者32歳像や白専女[しらとうめ]・役行者母親像を安置する。毎年1月14日には1300年以上の伝統を誇る大とんど左義長法要が行われ、高さ5m以上もある雌雄1対の松明に火をつけて、世界平和を祈る。
古代豪族鴨氏の守護神を祀る神社。延喜式には名神大社として名を連ね、貞観元年(859)には従一位に叙せられた。全国の賀茂社の元宮にあたる。境内の奥に立つ三間社流造の本殿(国指定重要文化財)は、天文12年(1543)の再建。4月下旬~5月上旬に見ごろとなるニホンサクラソウは、昭和35年(1960)に先代宮司が京都の自邸から持ち帰って増やしたもの。約500種2000鉢を数える。
長谷寺塔頭で、西国三十三カ所観音霊場番外札所。長谷寺本尊の十一面観音を造立し、西国霊場巡礼を始めたとされる徳道[とくどう]上人が隠棲した所と伝わる。徳道上人像を安置し、境内には上人御廟の十三重石塔や、触れると願いがかなうという上人沓脱ぎ石がある。
野見宿禰を祭神とする、穴師坐兵主神社の摂社。相撲発祥の地。『日本書紀』によれば、大和国の當麻蹶速と出雲国の野見宿禰が日本で始めての相撲をとり、勝った野見宿禰には當麻蹶速の領地が与えられた。
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