吉水神社
元は吉水院と称し修験宗の僧坊だったが、明治の神仏分離令で後醍醐天皇、楠木正成[くすのきまさしげ]・宗信法印を祭る神社となった。源頼朝に追われた義経は静御前、弁慶らとともにここに身を隠し、後醍醐天皇の行宮にもなった。豊臣秀吉が花見の本陣を置いたことでも知られる。書院(重要文化財)には、後醍醐天皇玉座の間や義経潜居の間がある。平成16年(2004)7月に世界遺産に指定された。
- 「吉野(奈良)駅」から徒歩23分
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元は吉水院と称し修験宗の僧坊だったが、明治の神仏分離令で後醍醐天皇、楠木正成[くすのきまさしげ]・宗信法印を祭る神社となった。源頼朝に追われた義経は静御前、弁慶らとともにここに身を隠し、後醍醐天皇の行宮にもなった。豊臣秀吉が花見の本陣を置いたことでも知られる。書院(重要文化財)には、後醍醐天皇玉座の間や義経潜居の間がある。平成16年(2004)7月に世界遺産に指定された。
国宝の本尊盧舎那仏(大仏)を安置する、東大寺の金堂。廻廊と中門に囲まれた壮大な建築で、間口約57m・奥行き約50m・高さ約48m。江戸時代の再建で創建時より間口が3分の2に縮小されているが、それでも木造古建築としては世界最大級だ。銅造の盧舎那仏は高さ約15m。華厳経の教主とされ、世界の真理そのものを体現する仏さまという。頭部は江戸時代のもので、補鋳を重ねてはいるが、台座から膝を中心に天平創建時の部分を多く残す。大仏殿前の金銅八角灯籠(国宝)は高さ約4.6m。楽器を奏でる音声[おんじょう]菩薩が浮き彫りされている。
興福寺の門跡寺院だった大乗院の庭園跡。平成22年(2010)の整備完了後に一般公開された。庭園南側に立つ大乗院庭園文化館からも望める。
興福寺境内の南側に位置する八角円堂。弘仁4年(813)、藤原冬嗣[ふじわらのふゆつぐ]が父内麻呂[うちまろ]のために建立した。現在の堂は江戸時代の再建。西国三十三カ所観音霊場第9番札所でもあるため、堂前には線香の煙りが絶えず、庶民的な雰囲気が漂う。本尊は高さ3.4mの不空羂索[ふくうけんさく]観音坐像(国宝)で、運慶の父康慶一門の作だ。堂内は、毎年10月17日(9~17時)に特別開扉される。
志貴皇子[しきのみこ]の山荘跡を寺にしたと伝えられ、鎌倉時代に叡尊[えいそん]が再興した。宝蔵には閻魔王坐像(重要文化財)がどっしりと鎮座。眼光鋭く、口をカッと開いて迫力満点。眷属の司命[しみょう]・司録[しろく]像(重要文化財)とともに鎌倉時代の康円一派の作だ。境内からの眺望もよく、参道の石段は秋、萩に覆われる。3月下旬ころには五色椿が花を開く。
養老5年(721)、行基を開基として創建。創建当初の旧礎の上に室町時代に再建された本堂(重要文化財)が残る。堂は行基菩薩が東大寺大仏殿の造営にあたり、喜光寺の本堂を雛形としたという伝承があり、「試みの大仏殿」とも呼ばれる。堂内には、平安時代後期(藤原時代)の阿弥陀如来坐像(重要文化財)を安置。行基菩薩はこの寺で没し、生駒の竹林寺に葬られた。6月中旬~8月上旬には250鉢の蓮の花が見頃をむかえる。
昭和45年(1970)唐招提寺に建てられた鉄筋コンクリートの収蔵庫で、境内東方にある。工芸、絵画、経文類など多数の寺宝のほか、破損仏も収蔵している。唐招提寺のトルソーと呼ばれる、頭と手がない如来形立像(重要文化財)も収められている。「天平の甍[いらか]」で有名な金堂の鴟尾[しび]を公開中。
天正13年(1585)に豊臣秀長が建立したといい、本尊の阿弥陀三尊立像(重要文化財)は鎌倉時代の作で快慶作と伝わる。門の左手の小堂に祭る石仏「垢かき地蔵」はふっくらした顔立ちで気品があり、かつては郡山城の沓脱石[くつぬぎいし]になっていたといわれる。門前の洞泉寺町はかつての花街で、木造3階建ての旧遊郭が残る。
御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
天文10年(1541)、今井兵部[ひょうぶ]が開いた浄土真宗の道場がのちに寺に改められた。今井町はこの寺の境内地から寺内町として発達したもので、初代兵部以来、現在まで今井家が住職を務める。本堂は重要文化財。
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