
須我神社
『古事記』に須佐之男命[すさのおのみこと]と櫛名田比賣[くしなだひめ]が建立したと伝わる古社。ここに社を建てる際に、須佐之男命が「八雲立つ…」の歌を詠んだことから、和歌発祥の地ともいわれ、境内に碑が立つ。毎年9月の例祭には、海潮神代神楽が奉納されるほか、門前にある茅葺き家の神楽の宿では、毎年7月下旬に夜神楽大会が開かれる。約2km奥に、奥宮として巨岩の夫婦岩[めおといわ]が祀られており、パワースポットとして注目されている。
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『古事記』に須佐之男命[すさのおのみこと]と櫛名田比賣[くしなだひめ]が建立したと伝わる古社。ここに社を建てる際に、須佐之男命が「八雲立つ…」の歌を詠んだことから、和歌発祥の地ともいわれ、境内に碑が立つ。毎年9月の例祭には、海潮神代神楽が奉納されるほか、門前にある茅葺き家の神楽の宿では、毎年7月下旬に夜神楽大会が開かれる。約2km奥に、奥宮として巨岩の夫婦岩[めおといわ]が祀られており、パワースポットとして注目されている。
出雲大社本殿を囲む瑞垣の外側左右に一列に並ぶ細長い建物。旧暦10月に日本中から出雲に集まってくる神々のための宿舎のひとつといわれる。そのため神無月を出雲では神在月と呼ぶ。創建は寛文年間(1661~73)で、現在あるのは延享5年(1748)の造営。
八上姫命が生んだ御井神(木俣神)を主祭神にしている神社。安産と水の神として古くから知られ、地元の人たちは子どもを身ごもると、安産祈願のために必ず参拝するという。参道の一角には、子どもを抱いた八上姫の像が立っている。
『延喜式』にも見える古社で、海上安全の守護神として信仰を集める。神社の立つ浜はイカの大群が押し寄せることで知られ、境内にはイカのオブジェが飾られている。一年おきの7月最終土・日曜に行われる例大祭は、神幸の船が海を周遊する隠岐随一の船祭。
出雲大社内にある、玉垣内に鎮座する大社造の大建築(国宝)。現在の本殿は延亨元年(1744)、造替されたもので、垂直に切られた千木が印象的だ。御祭神は大国主大神を主祭神に、ほか5神。現在の高さ24mは他の追随を許さない規模だが、平成12年(2000)4月、巨木3本を束ねた直径3mにもなる柱が境内から出土。伝承どおり、かつては現在の2倍近い48m前後の壮大な高層神殿だった可能性が高まった。
松江しんじ湖温泉の北、小高い丘を背にたたずむ。松平直政が生母月照院の菩提を弔うために寛文4年(1664)に建立し以後、松平家の菩提寺に。廟所には初代から9代までの墓碑が並ぶが、不昧のものや、大亀を配した6代宗衍[むねのぶ]のものが特に目をひく。藩主遺愛の品を納めた宝物殿もある。
益田氏の菩提寺。応安7年(1374)に建てられたという本堂(重要文化財)は7間四方、寄棟造で、力強い屋根の線に鎌倉時代の特徴がよく表れている。鎌倉時代の『絹本着色二河白道[にがびゃくどう]図』(重要文化財、GWに公開)や本堂の棟札(重要文化財)、平安時代の仏像など寺に伝わる貴重な文化財や雪舟作庭の石庭(史跡・名勝)がある。
茶臼山(神名樋野)の東南麓にある神社で、伊弉諾尊[いざなぎのみこと]をまつっている。『出雲国風土記』にも登場する古社で静寂な空気に包まれた境内は、心を落ち着かせる。かつては神水と言われる「眞名井の滝」付近にあったともいわれている。
銀山支配をめぐって争った大内氏と毛利氏の崇敬を受けた神社。文化9年(1812)に再建された拝殿の天井に鳴き龍が描かれている。
『出雲国風土記』にも記された出雲国一の宮。八岐大蛇[やまたのおろち]を退治したことで有名な素戔嗚尊[すさのおのみこと]を祀る。境内には素戔嗚尊が詠んだという「八雲たつ……」の歌碑が立つ。
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