
照國神社
島津家28代当主島津斉彬公に崇敬の念を寄せる万民の願いにより、文久3年(1863)、勅命によって照國大明神の神号が授けられ創建された。明治6年(1873)には県社に指定、明治15年(1882)には別格官幣社に昇格。初詣の参拝者は例年鹿児島県一位と、鹿児島の総氏神様として崇敬されている。周辺には斉彬公や弟の島津久光公、甥の島津忠義公の銅像もある。
- 「天文館通駅」から徒歩11分/「朝日通駅」から徒歩11分
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島津家28代当主島津斉彬公に崇敬の念を寄せる万民の願いにより、文久3年(1863)、勅命によって照國大明神の神号が授けられ創建された。明治6年(1873)には県社に指定、明治15年(1882)には別格官幣社に昇格。初詣の参拝者は例年鹿児島県一位と、鹿児島の総氏神様として崇敬されている。周辺には斉彬公や弟の島津久光公、甥の島津忠義公の銅像もある。
延宝4年(1676)に創建されたと伝わる神社の社殿を平成30年(2018)に再建した。ほかにも千本鳥居、えんむすびの大石や水に流せるおみくじなどがある。鹿屋市役所から徒歩15分(車3分)の距離にある。
薩摩半島最南端の長崎鼻にある、浦島太郎と乙姫様が出会った竜宮伝説発祥の地で、豊玉姫(乙姫)を祀った神社、縁結びや海の神様として大切にされている。ここで貝殻に願いを書き、壷に入れて奉納すると素敵な出会いがあるといわれている。
島津家初代・忠久公によって建久5年(1194)に創建された、日本最古とも言われる禅寺。島津家の菩提寺として栄え、篤姫も江戸に上る際に立ち寄ったとか。県指定重要文化財の十一面千手観世音菩薩像など、貴重な文化財を所蔵している。
第19代島主の種子島久基を祭った神社。神社の名は晩年の号「栖林」から。毎年1月11日には、一年の平安を祈念し、直径175cmの大きな的を弓で射る「大的始式」(室町時代の1501年から500年以上の歴史)の行事を挙行。
種子島家の菩提寺で、文明元年(1469)、第11代島主・種子島時氏によって創建された。それまで律宗だった種子島家は、時氏の代に法華宗に帰依。以後全島をあげて法華信仰が広まった。本源寺の境内には、種子島に法華宗を伝えた日典上人の遺志を継いで、法華宗の弘法に努めた淡路島出身の僧、日良上人の墓や僧の供養碑群が並んでいる。
今和泉島津家の領地である今和泉郷の郷社。豊玉姫命が祭られ、江戸時代には中宮大明神、通称デメジンサーと呼ばれていた。篤姫がココでもらったお札を江戸に上る際、持ち込んだという話も残っている。
入り江の岩礁が突き出た場所に鎮座し、開運と勝負にご利益があるとされる神社。釜の蓋を頭に載せて祈願するというユニークな参拝スタイルや、有名スポーツ選手などが訪れたことでも話題となった。神社の裏にある絶景ポイントも見逃せない。
鹿児島市の中心地、天文館にほど近い浄土真宗本願寺派西本願寺の寺院。創建は明治11年(1878)。鹿児島は室町時代末期から明治初期まで浄土真宗が禁止されていたためその間信者たちは隠れて信仰してきた歴史をもつ。さつまの熱い門信徒の思いで建設された鹿児島別院は南九州の念仏の中心道場として、多くの人が参拝に訪れる。
南洲公園には、西郷が眠る南洲墓地や、南洲神社、西郷関連の資料を展示する西郷南洲顕彰館がある。
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