
西郷隆盛銅像
江戸城の無血開城をはじめ明治政府樹立に大きく貢献し、今も郷土の英雄として人気の西郷隆盛。この銅像は、没後50年を記念して昭和2年(1927)に建立が計画され、渋谷の忠犬ハチ公を制作した鹿児島市出身の彫刻家・安藤照が制作し、昭和12年(1937)に除幕された。台座を含めると約8mにもなる迫力の大きさ。
- 「朝日通駅」から徒歩7分/「市役所前(鹿児島)駅」から徒歩8分
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江戸城の無血開城をはじめ明治政府樹立に大きく貢献し、今も郷土の英雄として人気の西郷隆盛。この銅像は、没後50年を記念して昭和2年(1927)に建立が計画され、渋谷の忠犬ハチ公を制作した鹿児島市出身の彫刻家・安藤照が制作し、昭和12年(1937)に除幕された。台座を含めると約8mにもなる迫力の大きさ。
維新ふるさと館近くにある誕生地。西郷隆盛は、文政10年(1827)にここで生まれた。このあたりは下級武士の居住区であり、周囲には大山巌や東郷平八郎の誕生地もある。
名勝「仙巖園」の近くにある、慶応3年(1867)建築の木造2階建てで、4つのバルコニーを持つコロニアルスタイルが特長の洋館。日本初の洋式紡績工場の建設と操業指導のために薩摩藩から招かれた英国人技師達が暮らした洋館で、国指定重要文化財であり、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産「旧集成館」の一部でもある。
「薩摩の小京都」とよばれる知覧は、薩摩藩政時代の外城[とじょう]のひとつとして栄えた地区。武家屋敷群は270年ほど前に造られたものの一部と伝えられ、武士小路という通りに集まっている。国の名勝に指定された7つの庭園はよく手入れされ、母ケ岳の借景や枯山水を取り入れた造り。重厚な石垣に大刈りの植え込みは、琉球や中国の影響を受けたといわれている。国の伝統的建造物群保存地区にも指定されている。
錦江湾(鹿児島湾)の中央に浮かぶ、今も噴火を繰り返す活火山。日本ジオパークに認定されている「桜島・錦江湾ジオパーク」のシンボルとなっている。鹿児島港からフェリーで約15分(運賃250円、小人130円、日中は15~20分間隔で運航)。大正3年(1914)の噴火で大隅半島と陸続きとなった。島内には大規模噴火を物語る痕跡が点在し、中でも黒神埋没鳥居はその上部だけを残し、軽石に埋もれ、大正噴火の教訓を今に伝えている(黒神埋没鳥居まではフェリーターミナルから車で30分)。
西郷隆盛は明治6年(1873)から晩年まで、この武の屋敷で生活した。約1100坪ある広い土地に、質素な造りの屋敷と庭には大きな松の木があったそう。現在は井戸が残るのみ。
大正3年(1914)の大噴火の脅威を今でも残すこの鳥居。もとは高さ3mあったものが上部だけを残して埋没している。当時の村長の「掘り起こすことなく災害の遺産として残そう」という意思により今でも埋没したままだ。
肥後藩との国境の要地に、1600年前後に設けられた関所。江戸時代、独自の封建制度を確立していた薩摩藩は人の往来を厳重に取り締まったため、この関所の厳しさは全国にも知られていた。当時を偲ばせる古井戸も残っている。
桜島の勇姿をパノラマで楽しみたいならおすすめなのがココ。広場の入口右手には巨大な桜島溶岩を刻んで積み上げた「叫びの像」がある。鹿児島出身の歌手、長渕剛さんが平成16年(2004)にここで開いたオールナイトコンサート記念のモニュメントだ。
薩摩藩が防衛のために配した出水麓一帯の武家屋敷群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。薩摩藩の外城制度の特徴的な武家住宅を一部復元した「竹添邸」は一般公開されており、テレビドラマのロケ地にもなった。
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