大久保利通銅像
日本の近代化に尽力した大久保利通の功績を讃え、彫刻家・中村晋也氏により製作された銅像。像の足元には、大久保が暗殺された際に一緒に亡くなったとされる馬車夫と馬の像も彫られている。
- 「高見橋駅」から徒歩3分/「加治屋町駅」から徒歩5分
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日本の近代化に尽力した大久保利通の功績を讃え、彫刻家・中村晋也氏により製作された銅像。像の足元には、大久保が暗殺された際に一緒に亡くなったとされる馬車夫と馬の像も彫られている。
城山の北隣、鹿児島駅裏手の錦江湾を望む丘に、西郷隆盛をはじめ、桐野利秋・村田新八ら西南戦争で戦死した薩軍兵士(一部)が葬られている。南洲とは西郷の号名で、墓地中央にある彼の墓は、ひときわ大きい。墓地の両側には西郷隆盛を祀る南洲神社、西郷南洲顕彰館[さいごうなんしゅうけんしょうかん](料金:大人200円、時間:9~17時、休み:月曜(祝日の場合は翌日)、電話:099-247-1100)もある。
平成16年(2004)に行われた長渕剛オールナイトコンサートを記念してつくられたモニュメント。38.2トンもの桜島の溶岩を使用した像は、高さ3.4mと迫力満点。
今和泉島津家初代忠郷が宝暦4年(1754)に建てた別邸跡のこの場所も、現在では今和泉小学校へと姿を変えている。校庭にある井戸や手水鉢、小学校海岸側にある石垣で、当時の面影を感じることができる。
西郷隆盛は明治6年(1873)から晩年まで、この武の屋敷で生活した。約1100坪ある広い土地に、質素な造りの屋敷と庭には大きな松の木があったそう。現在は井戸が残るのみ。
明治36年(1903)に開業し、駅舎や長いすなどが110年以上たった今も現役。趣ある駅舎は観光スポットとしても人気。
錦江湾(鹿児島湾)の中央に浮かぶ、今も噴火を繰り返す活火山。日本ジオパークに認定されている「桜島・錦江湾ジオパーク」のシンボルとなっている。鹿児島港からフェリーで約15分(運賃250円、小人130円、日中は15~20分間隔で運航)。大正3年(1914)の噴火で大隅半島と陸続きとなった。島内には大規模噴火を物語る痕跡が点在し、中でも黒神埋没鳥居はその上部だけを残し、軽石に埋もれ、大正噴火の教訓を今に伝えている(黒神埋没鳥居まではフェリーターミナルから車で30分)。
明治6年(1873)、政変で下野した西郷隆盛が鹿児島の士族のために創設した私学校。元は鹿児島城(通称・鶴丸城)の厩が置かれていた場所で、現在では門と石塀のみが残されている。西南戦争の際にはこの私学校の石塀に多くの銃弾が撃ち込まれ、今でもその被弾の跡を見ることができる。
名勝「仙巖園」の近くにある、慶応3年(1867)建築の木造2階建てで、4つのバルコニーを持つコロニアルスタイルが特長の洋館。日本初の洋式紡績工場の建設と操業指導のために薩摩藩から招かれた英国人技師達が暮らした洋館で、国指定重要文化財であり、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産「旧集成館」の一部でもある。
約10600年前の大規模な定住集落跡である国指定史跡「上野原遺跡」を保存・活用するために造られた施設。日本の歴史公園100選のひとつにも認定されている。展示館では土器や石器等貴重な出土品が見学でき、体験学習館では火おこしやアクセサリー作りなどの縄文体験もできる。10600年前の竪穴住居跡などを発掘されたままの状態で保存している遺跡保存館は必見。
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