
どんどん坂
CMや映画などで、長崎らしい風景として取り上げられることが多いこの道。下りはもちろん、上りの途中で振り返って景色を眺めるのも楽しい。名前の由来は、雨が降ると坂を流れ落ちる水が「どんどん」と音を立てるから。石畳の脇には三角の形をした三角溝とよばれる溝があり、水流の速さを調節するため溝の形が上と下で異なる。
- 「石橋(長崎)駅」から徒歩11分/「大浦天主堂駅」から徒歩11分
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CMや映画などで、長崎らしい風景として取り上げられることが多いこの道。下りはもちろん、上りの途中で振り返って景色を眺めるのも楽しい。名前の由来は、雨が降ると坂を流れ落ちる水が「どんどん」と音を立てるから。石畳の脇には三角の形をした三角溝とよばれる溝があり、水流の速さを調節するため溝の形が上と下で異なる。
作家・なかにし礼著『長崎ぶらぶら節』でも紹介された唄で“遊びに行くなら花月か中の茶屋。梅園裏門たたいて…”と登場する。道沿いには明治時代築の貴重な木造建造物が点在し、風情ある石畳が続く。
佐世保の海の玄関口・佐世保鯨瀬[くじらせ]埠頭にあり、パークのどこからでも佐世保港を望むことができるビュースポット。パーク内には鯨のモニュメントや錨[いかり]のオブジェがある。海沿いに続くプロムナードのベンチで、港の風景を楽しみたい。
遊郭の丸山入口に設けられた門前橋。当時はここに川が流れ、多くの男性が丸山へ行こうか戻ろうか、と思案したことからこの名が付いた。昭和30年代に道路拡張のため橋は消滅したが、それを惜しんで橋の欄干を模した建造物が立つ。
「ヴィーナスウィング」の愛称で親しまれる有料橋。長崎港をまたいで国道499号と202号を結ぶ全長1289mの大橋で、横浜ベイブリッジなどと同じ斜張橋で、橋の高さは海面約70m。夜はライトアップされ、長崎港と市街地のイルミネーションとともに、星空に浮かぶ姿はロマンチック。
樺島は熱帯性オオウナギの生息北限地として大正12年(1923)に、国指定天然記念物に指定された。現在、井戸の側にある水槽で2匹のオオウナギを見ることができる。
平成27年(2015)登録の世界遺産。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、急速に発展した製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業関連の近代産業の遺産群。幕末の日本は西洋から技術や知識を吸収し、明治期に近代産業の基盤を確立。構成は長崎県をはじめ福岡、佐賀、熊本、鹿児島、山口、岩手、静岡の8県11市にわたり、長崎県の旧グラバー住宅、山口県萩や静岡県韮山の反射炉、岩手県釜石の鉄鉱山、九州各地の炭鉱や造船所など、23の構成資産から成る。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つ。黒島は平戸藩の領地で、江戸後期に畑地開拓ための政策によって生月島や大村藩の外海から多くの開拓民が移住。新集落7つのうち、日数、根谷など6集落は潜伏キリシタンの集落だった。本村集落の庄屋屋敷では絵踏が行われたが、彼らは興禅寺の檀家となりながら密かにマリア観音像に祈りをささげて信仰を続けた。長崎・大浦天主堂の信徒発見の2カ月後、黒島から潜伏キリシタンの指導者(水方)を代々務める出口吉太夫など20名が大浦天主堂を訪ね、600人の信者がいると告知。数々の迫害を経て、明治5年(1872)に島内信者全員がカトリックに復帰。現在島内には、カトリック黒島教会をはじめキリシタン関連史跡が数多く残っている。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つ。頭ヶ島は、「上五島」と呼ばれる五島列島北部にある周囲約8kmの小島。急峻な海蝕崖が連続する地形で、潮流の激しい孕[はらみ]瀬戸に架けられた頭ヶ島大橋で中通島と繋がっている。江戸後期に大村藩の外海地域から開拓民が移住し、白浜、田尻、浜泊に集落を形成。潜伏キリシタンであった開拓民は人の近づきにくい頭ヶ島で、仏教徒を装いながら密かに信仰を維持。明治初期のキリシタン弾圧「五島崩れ」では多くの人々が拷問を受けた。現在は、カトリック頭ヶ島教会(頭ヶ島天主堂)をはじめ、潜伏キリシタンの指導者屋敷跡(仮の聖堂跡)、カトリック共同墓地などが歴史を物語っている。外海の石積み技術を駆使した垣根や採石場などの集落景観は、国の重要文化的景観「新上五島町崎浦の五島石集落景観」にも選定されている。
浅茅湾に浮かぶ島山島[しまやまじま]と美津島町を結ぶ。平成6年(1994)に完成し、定期船もない離島だった島山島へ気軽に渡れるようになった。
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