
雲仙岳
島原半島の中央部にあり、標高1359mの普賢岳を主峰とする複式火山。山麓には、外国人観光客にも人気が高い雲仙温泉が湧く。5月に花開くミヤマキリシマなどのツツジ群生、12~2月の霧氷など、四季それぞれに山岳美を見せる。秋の紅葉も美しく、コハウチワカエデ、イロハモミジ、ウリハダカエデ、ナナカマドなどが山の斜面を赤く染める。
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島原半島の中央部にあり、標高1359mの普賢岳を主峰とする複式火山。山麓には、外国人観光客にも人気が高い雲仙温泉が湧く。5月に花開くミヤマキリシマなどのツツジ群生、12~2月の霧氷など、四季それぞれに山岳美を見せる。秋の紅葉も美しく、コハウチワカエデ、イロハモミジ、ウリハダカエデ、ナナカマドなどが山の斜面を赤く染める。
丸山公園のそばに立つ1本の柳。花街からの帰り道、遊女への未練からか男たちの振り返る姿が多く見られたために名付けられたという。
海に突き出た岬状の地形の龍石海岸には、琴平神社と呼ばれる神社がある。遠洋漁業に出向く漁師が多いこのまちの人々は、岬の先に神社を建立し、長旅の安全を祈願していた。神社を建てるのに適した岬をつくったのは、約50万年前に始まった雲仙火山の最初期の噴火による噴出物と川の流れ。数万年に及ぶ火山活動がつくり出した雲仙火山のすそ野が川で削られ、海に突き出た岬となり、その上を、荒海で戦う漁師達の心を支える神様の居場所にした。琴平神社は、今も静かに漁師たちの安全を祈り続けている。
島原半島の雲仙天草国立公園の指定区域内にある人工池。農林水産省の「ため池百選」に選定されており、島原半島世界ジオパークの構成要素の1つでもある。約60万年前に噴出した「諏訪の池玄武岩」を、池周辺に走る「諏訪の池断層」が分断したことによってくぼ地が誕生。それを利用して江戸時代中期に造られたのが諏訪の池。上池、中池、新池の3つの池から成り、湖畔には1周5kmの自然歩道も整備。中池そばの屈折式大型望遠鏡を備えた雲仙諏訪の池ビジターセンターでは自然環境全体についての展示や多彩な体験プログラムを催行している。
長崎市街を流れて長崎港へと注ぐ中島川は流路延長約5.8kmの川。かつては大川と呼ばれ、元亀元年(1570)の長崎開港から、ポルトガルとの交易のための出島があった江戸時代には、物資の流通ルートとして使われ、貿易のための水運利用によって街の中心となっていた。明治になっての変流工事や度々の水害などを経て、現在の中島川には、国指定重要文化財の眼鏡橋をはじめ、長崎市指定有形文化財「中島川石造アーチ橋群」の高麗橋、桃渓橋、袋橋など、多くの石橋が架けられ、風光明媚な景観をつくり出している。
眼下に広がる諫早平野や雲仙岳の眺め。標高1057mの五家原岳の中腹に位置し、3月上旬~4月中旬に菜の花が、9月下旬~10月下旬はコスモスが咲き誇る。白木峰高原コスモス花宇宙館やこどもの城が公園内にある。
軍艦島とは長崎湾の沖合に浮かぶ端島のこと。かつて海底炭鉱の島として栄えたが、端島炭鉱閉山とともに廃墟となり、その島影が戦艦「土佐」に似ていたことから軍艦島と呼ばれるようになった。大正5年(1916)に立てられた住人たちの高層アパートや、31号棟鉱員社宅などが残る。現在はガイド付きのツアー参加でしか上陸できない。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つでもある。
慶応3年(1867)イギリス人水夫2人が殺された事件。海援隊士の仕業と疑われ、龍馬は取り調べに同席。犯人は福岡藩士・金子才吉と判明し、事件は解決した。※石碑や標示板などは特になし。
大小の岩の間から白煙が立ち上り、硫黄の匂いが漂う雲仙地獄はキリシタン殉教の舞台にもなった場所。地獄を見下ろす丘には、キリシタン弾圧の歴史を物語る十字架が建てられている。明治初期、お糸の処刑とともに吹き出したと伝えられるお糸地獄や、100度近い熱泉と水蒸気が湧く大叫喚地獄[だいきょうかんじごく]など約30の地獄が点在。
現在でも市民の生活用水として使用されている主要な洗い場の一つ。洗い場は飲用、食料品、食器洗い、洗濯など使用目的別に分けられている。隣接する「銀水」では、湧水を利用した「かんざらし」を味わうことができる。
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