小督塚
『平家物語』で知られる小督を祀る小さな五輪塔。高倉帝に愛された小督は、中宮・徳子の父平清盛ににらまれ、嵯峨野のほとりに身を隠す。渡月橋の近くで奏でる「想夫恋[そうふれん]」の琴の調べで居場所が知れ、帝のもとに呼び戻されるが、結局は清盛によって出家させられ、追い出されてしまったという。
- 「嵐山(京福)駅」から徒歩4分/「嵐電嵯峨駅」から徒歩10分
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『平家物語』で知られる小督を祀る小さな五輪塔。高倉帝に愛された小督は、中宮・徳子の父平清盛ににらまれ、嵯峨野のほとりに身を隠す。渡月橋の近くで奏でる「想夫恋[そうふれん]」の琴の調べで居場所が知れ、帝のもとに呼び戻されるが、結局は清盛によって出家させられ、追い出されてしまったという。
天智天皇が奈良・飛鳥に日本初の水時計台を造ったことにちなみ、参道入口には石の日時計が立つ。参道を進むと拝所へ至る。天智天皇は大化の改新を断行、近江大津宮で天智7年(668)に即位。3年後に死去し、大化の改新のパートナー・中臣氏の邸宅があった山科に葬られたとされる。
後水尾上皇により、万治2年(1659)に造営された離宮。比叡山の裾野に広がる広大な敷地に、松並木で結ばれた下離宮、中離宮、上離宮という3つの庭園が配されている。表総門を入った所が下離宮で、数寄屋造の寿月観[じゅげつかん]がある。続く中離宮は、華麗な装飾が施された客殿が見事で、天下の三棚の一つの霞棚も忘れずに見たい。上離宮は、浴龍池を中心に茶屋を配した大庭園。山腹に立つ隣雲亭からの眺望はすばらしい。ぜひ訪れたい洛北随一のスポット。
鳥居本には、茅葺屋根の民家が数多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。保存館は明治時代初期に建てられた民家を当時の姿のまま公開しており、建物や内装そのものが展示物となっている。また、昭和初期の鳥居本の町並みを再現した模型も展示している。
大堰川[おおいがわ]に架かる全長155mの橋。亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」として、渡月橋と命名したという風情ある橋で、嵐山の景観にとけ込んでいる。鵜飼などの川遊びも渡月橋を中心に行われる。当初、橋は現在より100mほど上流にあったと考えられるが、慶長11年(1606)に角倉了以[すみのくらりょうい]が大堰川上流の保津川開削工事を行った際、今の場所に移された。
秦氏の墓と考えられている京都市屈指の古墳。7世紀初頭の前方後円墳で、巨石を積んだ横穴式石室が露出している。玄室の長さは約7m。
丹下左膳役で有名な昭和初期の俳優、大河内伝次郎の別荘。小倉山[おぐらやま]の山裾の起伏を利用して、桜や楓、松などを植え込んだ広大な庭は趣が深く、展望台の眺望もよい。登録有形文化財。
上賀茂神社の南、賀茂社から流れ出る明神川に沿って、石垣を積み、白い土塀で囲った家が30軒余り続く。これらは同神社の神官らが住んだ屋敷(社家)で、風格のある家並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。そのなかで数寄屋造の西村家別邸(錦部家旧宅)(料金:500円)が公開されており、社家の内部をうかがうことができる。
ひなびた茅葺き屋根の庵は、松尾芭蕉の高弟である向井去来[むかいきょらい]の草庵跡。芭蕉も訪れ「嵯峨日記」を著した。草庵の玄関にはかつての主の在宅を告げた蓑と笠がかけられ、庭には俳句の季語となる草木とともに去来や芭蕉などの句碑が立ち、投句箱もある。登録有形文化財。
明治天皇の御陵で、東西127m、南北155mにもわたる。上円下方の形で、それぞれ3段に築成。表面は小石に覆われ、周囲には2重の玉垣がある。陵内は広く、参道には玉砂利が敷かれ、木々が茂る大きな森になっていて、荘厳な雰囲気。明治天皇陵の東には、同形の昭憲皇太后伏見桃山東陵が並んでいる。
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