
旧藤田家住宅(太宰治まなびの家)
旧制弘前高等学校時代に、太宰治が下宿をしていた家(旧藤田家住宅)。大正時代の和風住宅で、太宰の部屋は2階奥の出窓と縁側のある6畳間。実際に使われていた文机や茶だんすなどが残されており、太宰が生活していた雰囲気を感じることができる。見学自由。
- 「弘前東高前駅」から徒歩14分/「弘高下駅」から徒歩15分
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旧制弘前高等学校時代に、太宰治が下宿をしていた家(旧藤田家住宅)。大正時代の和風住宅で、太宰の部屋は2階奥の出窓と縁側のある6畳間。実際に使われていた文机や茶だんすなどが残されており、太宰が生活していた雰囲気を感じることができる。見学自由。
仲町伝統的建造物群保存地区にある武家住宅。江戸後期の建築物と推定される。
「県重宝」に指定される追手門広場内にある洋館。明治39年(1906)、名工・堀江佐吉によって建てられ、昭和6年(1931)までは市立図書館として使用されていた。八角形の双塔を左右に配した木造3階建てルネサンス様式を基調とした美しい建物で、内部を公開している。
二代藩主津軽信枚が弘前城の南西(風水でいう裏鬼門の方角)の砦として、慶長15年(1610)に津軽一円の主要寺院をこの地に集め、曹洞宗33カ寺が連なる。
文政10年(1827)に野辺地の廻船問屋、野村治三郎によって建てられた。盛岡藩の海の窓口としてにぎわっていた野辺地湊に、夜間入港する北前船への目印となっていた。
弘前城北門(亀甲門)の真向かいにあり、仲町伝統的建造物群保存地区に隣接している。津軽の豪商を代表する江戸時代の建築物として貴重な遺構だ。今もたばこ、地酒などを商っている。
中町こみせ通りに立つ江戸中期に建てられた商家の住宅。黒石藩御用達で主に米を扱ったことから屋号を「米屋」という。広い土間や吊り上げ式障子窓がある典型的な商家建築で、国の重要文化財に指定されている。現在も人が住んでいるため座敷に入ることはできないが、4~11月は庭園を望む喫茶処が営業。あんみつや汁粉が食べられる。
仲町伝統的建造物群保存地区にある、津軽藩の藩医をつとめた伊東家の居宅。江戸時代末期に建てられた。
国史跡に指定されている青森県内最大規模の縄文時代の貝塚を伴う集落遺跡。ヤマトシジミやアサリなどの貝のほか、魚類、哺乳類、鳥類などの骨も出土している。また、竪穴住居跡や石器、土器、骨製のアクセサリーなども見つかっている。竪穴住居2棟が復元され、現在は史跡公園として整備されている。
夏は日差しを遮り、冬は雪を防ぐために造られた木造アーケード。藩政時代から残る伝統的建造物で、これほどまとまっているのは全国的に類例を見ないという。中町は当時から商家や造り酒屋、旅籠、呉服屋などが並ぶ商店街だった。9月の第2土・日曜には「黒石こみせまつり」を開催。2軒の造り酒屋の酒蔵が公開される。平成17年(2005)、重要伝統的建造物群保存地区に選定されているほか、高橋家(重要文化財)、造り酒屋の鳴海氏庭園など、文化財も点在している。
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