
旧弘前市立図書館
「県重宝」に指定される追手門広場内にある洋館。明治39年(1906)、名工・堀江佐吉によって建てられ、昭和6年(1931)までは市立図書館として使用されていた。八角形の双塔を左右に配した木造3階建てルネサンス様式を基調とした美しい建物で、内部を公開している。
- 「中央弘前駅」から徒歩12分/「弘高下駅」から徒歩19分
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「県重宝」に指定される追手門広場内にある洋館。明治39年(1906)、名工・堀江佐吉によって建てられ、昭和6年(1931)までは市立図書館として使用されていた。八角形の双塔を左右に配した木造3階建てルネサンス様式を基調とした美しい建物で、内部を公開している。
文政10年(1827)に野辺地の廻船問屋、野村治三郎によって建てられた。盛岡藩の海の窓口としてにぎわっていた野辺地湊に、夜間入港する北前船への目印となっていた。
遮光器土偶(重要文化財)をはじめ、縄文時代晩期の土器や石器・漆器などが発掘された遺跡。出土した土器や土偶に代表される縄文時代晩期の優れた物質文化は、「亀ケ岡文化」と呼ばれている。現在は遮光器土偶の形をした石像が立つ。近くの縄文前期~中期の田小屋野貝塚からも土器やベンケイ貝製の貝輪などが出土し、ともに史跡に指定されている。
明治3年(1870)、新潟から海路をたどって藩士達が上陸した地のひとつが大湊大平浦(現、大湊新町)である。石碑は会津鶴ケ城の石垣に使用されている慶山石を用い、会津若松市を望む方角に設置されている。碑文の揮ごうは会津松平家第13代当主松平保定氏によるもの。
三戸城は、三戸南部氏により戦国時代(16世紀中頃)に築城され、石垣や堀跡、土塁などの遺構が多く残り往時を偲ばせている。また、城郭を模した三戸城温故館や歴史民俗資料館があり、歴史ファンからも人気がある。春にはソメイヨシノ、ヤエザクラ、ヤエベニシダレなど定番の桜に加え、黄色の花が特徴のギョイコウが楽しめる青森県南髄一の桜の名所であり、県内外から訪れる人々の憩いの場となっている。令和4年(2022)3月15日に国史跡指定を受けた。
昭和24年(1949)、東北町で高さ1.5m、幅70cm、真ん中に「日本中央」と刻まれた石が発見された。平安時代、坂上田村麻呂[さかのうえのたむらまろ]が刻んだという説がある。「日本中央の碑」歴史公園保存館で展示。
竪穴建物跡や中世の城郭跡などが発見された場所。築城は建武元年(1334)、南部師行[もろゆき]による。安土桃山時代の本丸を復原。主殿や馬屋が立ち並び、内部では当時の様子を再現している。所要30分。
南部利康は南部27代利直の4男で、寛永8年(1631)24歳で早逝。父利直がこれを悼み、翌年建立。入母屋[いりもや]造の桃山様式建築で、霊屋全体に花鳥木が極彩色で描かれている。
本州最北の町のさらに最北端の大間崎には、「こゝ本州最北端の地」と刻まれた碑や大間名物のマグロ一本釣りのモニュメントがある。晴れれば直線距離17.5kmの海峡をはさんだ函館の市街まで見え、フェリーで渡ることも可能だ。マグロ漁の時期(7月下旬~1月末)には、一本釣りをする船も見られる。
十和田湖のシンボル。高村光太郎晩年の作品で、向き合う2人の女性のブロンズ像の顔は、智恵子夫人をイメージしたものという。遊覧船乗り場から遊歩道がつづく。
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