
石場家住宅
弘前城北門(亀甲門)の真向かいにあり、仲町伝統的建造物群保存地区に隣接している。津軽の豪商を代表する江戸時代の建築物として貴重な遺構だ。今もたばこ、地酒などを商っている。
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弘前城北門(亀甲門)の真向かいにあり、仲町伝統的建造物群保存地区に隣接している。津軽の豪商を代表する江戸時代の建築物として貴重な遺構だ。今もたばこ、地酒などを商っている。
旧制弘前高等学校時代に、太宰治が下宿をしていた家(旧藤田家住宅)。大正時代の和風住宅で、太宰の部屋は2階奥の出窓と縁側のある6畳間。実際に使われていた文机や茶だんすなどが残されており、太宰が生活していた雰囲気を感じることができる。見学自由。
平山家は津軽藩広田組代官手代をつとめた家。18世紀後半に建てられた豪農の住まいがほぼ原形のまま伝えられ、貴重な資料となっている。
江戸時代まで、八戸南部氏の居城があったところ。現在は、市民いこいの広場として整備されている。公園は高台にあるため、市街を一望できる。また、春には桜やツツジ、秋には紅葉が楽しめる。
仲町伝統的建造物群保存地区にある武家住宅。江戸後期の建築物と推定される。
京都の無鄰庵[むりんあん]、清風荘とともに明治時代作庭の三名園の一つに数えられる国指定名勝の庭園。代々この地の大庄屋を勤めていた清藤[せいとう]家二十四代盛美[もりよし]が、小幡亭樹を招いて造営した大石武学流の池泉廻遊式庭園で、明治35年(1902)から9年を費やして作庭された。庭園と融和して美しい盛美館は、明治41年(1908)に二十五代辨吉[べんきち]が、庭園を眺めるために建てた和洋折衷様式の建物。内部の蒔絵が見事な御宝殿は清藤家の霊廟(位牌堂)となっている。
文政10年(1827)に野辺地の廻船問屋、野村治三郎によって建てられた。盛岡藩の海の窓口としてにぎわっていた野辺地湊に、夜間入港する北前船への目印となっていた。
弘前公園にある三層三階の弘前城天守には、平成27年(2015)に行われた曳屋[ひきや]に関する資料などを展示している。弘前城は慶長16年(1611)に2代藩主津軽信枚[つがるのぶひら]によって築城された。天守は文化7年(1810)に再建されたもの。所要15分。
夏は日差しを遮り、冬は雪を防ぐために造られた木造アーケード。藩政時代から残る伝統的建造物で、これほどまとまっているのは全国的に類例を見ないという。中町は当時から商家や造り酒屋、旅籠、呉服屋などが並ぶ商店街だった。9月の第2土・日曜には「黒石こみせまつり」を開催。2軒の造り酒屋の酒蔵が公開される。平成17年(2005)、重要伝統的建造物群保存地区に選定されているほか、高橋家(重要文化財)、造り酒屋の鳴海氏庭園など、文化財も点在している。
富士見湖パークに隣接。明治初期に建てられた豪農・川村家住宅を津軽富士見湖畔に移築。民具や農具など生活用具も展示されている。所要30分。
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