
国史跡三戸城跡城山公園
三戸城は、三戸南部氏により戦国時代(16世紀中頃)に築城され、石垣や堀跡、土塁などの遺構が多く残り往時を偲ばせている。また、城郭を模した三戸城温故館や歴史民俗資料館があり、歴史ファンからも人気がある。春にはソメイヨシノ、ヤエザクラ、ヤエベニシダレなど定番の桜に加え、黄色の花が特徴のギョイコウが楽しめる青森県南髄一の桜の名所であり、県内外から訪れる人々の憩いの場となっている。令和4年(2022)3月15日に国史跡指定を受けた。
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三戸城は、三戸南部氏により戦国時代(16世紀中頃)に築城され、石垣や堀跡、土塁などの遺構が多く残り往時を偲ばせている。また、城郭を模した三戸城温故館や歴史民俗資料館があり、歴史ファンからも人気がある。春にはソメイヨシノ、ヤエザクラ、ヤエベニシダレなど定番の桜に加え、黄色の花が特徴のギョイコウが楽しめる青森県南髄一の桜の名所であり、県内外から訪れる人々の憩いの場となっている。令和4年(2022)3月15日に国史跡指定を受けた。
昭和24年(1949)、東北町で高さ1.5m、幅70cm、真ん中に「日本中央」と刻まれた石が発見された。平安時代、坂上田村麻呂[さかのうえのたむらまろ]が刻んだという説がある。「日本中央の碑」歴史公園保存館で展示。
十和田湖のシンボル。高村光太郎晩年の作品で、向き合う2人の女性のブロンズ像の顔は、智恵子夫人をイメージしたものという。遊覧船乗り場から遊歩道がつづく。
弘前公園の北にある仲町伝統的建造物群保存地区は、藩政時代は侍町で道路沿いに連続するサワラ生垣、点在する門や板塀、前庭の樹木、さらにその奥に立つ木造真壁造の主屋が、往時の町並みの景観を今に伝えている。現在、旧伊東家・旧岩田家・旧梅田家・旧笹森家の4棟の武家住宅を公開している。
平山家は津軽藩広田組代官手代をつとめた家。18世紀後半に建てられた豪農の住まいがほぼ原形のまま伝えられ、貴重な資料となっている。
遮光器土偶(重要文化財)をはじめ、縄文時代晩期の土器や石器・漆器などが発掘された遺跡。出土した土器や土偶に代表される縄文時代晩期の優れた物質文化は、「亀ケ岡文化」と呼ばれている。現在は遮光器土偶の形をした石像が立つ。近くの縄文前期~中期の田小屋野貝塚からも土器やベンケイ貝製の貝輪などが出土し、ともに史跡に指定されている。
富士見湖パークに隣接。明治初期に建てられた豪農・川村家住宅を津軽富士見湖畔に移築。民具や農具など生活用具も展示されている。所要30分。
天正14年(1586)に津軽藩祖・為信が設置した関所で、津軽藩の表玄関として警備の役割を果たしていた。現在は面番所[おもてばんしょ]、高麗門[こうらいもん]、冠木門[かぶきもん]を復元。面番所は資料館展示場として利用され、通行許可証や通行手形、刀剣などを展示し、等身大の人形で上番所や下番所などを再現している。
昭和20年(1945)7月より1年4カ月間、戦火を逃れ暮らした大正11年(1922)築の木造家屋。当時は斜陽館の離れだった。作家になってからの太宰の居宅としては唯一現存。『故郷』『トカトントン』など、23作品がここで生まれた。太宰の書斎に座ることができる。
弘前公園にある三層三階の弘前城天守には、平成27年(2015)に行われた曳屋[ひきや]に関する資料などを展示している。弘前城は慶長16年(1611)に2代藩主津軽信枚[つがるのぶひら]によって築城された。天守は文化7年(1810)に再建されたもの。所要15分。
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