
長谷堂城跡(長谷堂城跡公園)
出羽の関ケ原・長谷堂合戦の舞台になった長谷堂城跡。慶長5年(1600)9月、上杉の智将「直江兼続」は二万余の大軍を率いて長谷堂城に押し寄せたが、最上義光の家臣、長谷堂城主「志村伊豆守光安」が千人あまりの城兵をもって、これを撃退し山形を戦火から護った。現在は公園として整備されており、曲輪や虎口、空堀など中世・戦国の遺構に出会うことができる。
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出羽の関ケ原・長谷堂合戦の舞台になった長谷堂城跡。慶長5年(1600)9月、上杉の智将「直江兼続」は二万余の大軍を率いて長谷堂城に押し寄せたが、最上義光の家臣、長谷堂城主「志村伊豆守光安」が千人あまりの城兵をもって、これを撃退し山形を戦火から護った。現在は公園として整備されており、曲輪や虎口、空堀など中世・戦国の遺構に出会うことができる。
松尾芭蕉と曾良が舟に乗って最上川を下ったとされる場所で、芭蕉と曾良の陶像と「五月雨をあつめて早し最上川」の句碑がある。また、この付近の八向山[やむきやま]がある本合海[もとあいかい]は、「おくのほそ道の風景地」の一つとして国名勝に指定されている。
最上地方に入った源義経一行に関する興味深い伝説が残る瀬見温泉。平成5年(1993)に完成したこの橋の両詰めには横笛を吹く義経像が立ち、欄干には“開湯の祖”弁慶を描いたレリーフも掲げられている。
江戸時代創業の老舗料亭「相馬屋」を修復し、平成12年(2000)に舞娘茶屋として開樓した。土蔵を取り囲むようにして建てられた樓内には、料亭当時の骨董品や貴重な雛人形などが展示されている。2階大広間では酒田舞娘の演舞(14時~、所要約20分、料金800円)も見られる。踊りを観ながらの舞娘御膳(12時~)5500円は要予約。現在残る木造の主屋は、登録有形文化財。
鎌倉時代に築城され、長井・伊達・蒲生[がもう]・上杉の歴代藩主の居城となり、舞鶴城・松岬城とも呼ばれた。堀と石垣に囲まれた園内は花見の名所で、春には約200本の桜が咲く。園内には米沢藩上杉家の家祖上杉謙信を祀る上杉神社があり、上杉家伝来の宝物を多数収蔵した稽照殿もある。
本間家と並ぶ大地主、伊藤四郎右衛門家が明治24年(1891)に建てた別荘。庭は当時50数名の門下を擁した名庭師・山田挿遊[そうゆう]の手による。現在酒田市の所有となり、建物と庭園が公開されている。
縄文時代の遺跡を保存・整備した公園。古代の丘資料館では、縄文時代の長者屋敷遺跡資料や出土品を展示。広場には土偶の巨大なオブジェがある。古代の丘にはリードをつけていればペットと入園できるが、資料館はペット不可。
日和山公園の中にあり、デザインが優れた本格的な木造洋風建築。大正8年(1919)に建てられたもので、住居と医院が一緒になっており、珍しい造り。
愛称の「文翔館」で親しまれる郷土館の竣工は大正5年(1916)。山形県旧県庁舎兼旧県会議事堂として使用されていた建物で、国指定重要文化財だ。石貼りの重厚な英国近世復興様式で、旧県庁舎と旧県会議事堂の2棟が渡り廊下で結ばれている。現在も稼働している時計塔のある旧県庁舎の館内には、明治以降の県政資料の展示室やギャラリー、映像ホール、喫茶室などが整備され、旧県会議事堂のヴォールト天井の見事な議事場ホールではイベントも開催されている。
霞城公園内にある、ドーム型大屋根をもつ三層楼と14角形の廻廊がある擬洋風建築物。明治11年(1878)に県立病院として建てられたものを移築復元したもので、国の重要文化財に指定。館内では、医学・医療や郷土史に関する資料を展示している。
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