唐門
江戸中期に建てられたこの門は、朝倉館跡の入口に位置している。義景の菩提を弔うために建立されたと伝えられる松雲院の寺門で、外側には朝倉家の家紋が刻まれている。
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江戸中期に建てられたこの門は、朝倉館跡の入口に位置している。義景の菩提を弔うために建立されたと伝えられる松雲院の寺門で、外側には朝倉家の家紋が刻まれている。
養浩館庭園はかつての福井藩主松平家の別邸。この優雅な書院建築の屋敷を取り巻く回遊式林泉庭園は、江戸時代を代表する名園として知られていたが、昭和20年(1945)、建物や樹木を福井大空襲で焼失。その後、国の名勝に指定されたのを機に、文政6年(1823)の古図をもとに建物と庭園が復元された。広大な池を中心に築山や入江などを配した優美な庭園が蘇った。また麻の葉模様を透彫にした欄間のある主座敷の御座ノ間や、池に映る月を見るための雲窓の出書院がある御月見ノ間なども見ごたえ充分。
室町末期から江戸初期に建てられた中世地方豪族の坪川家の住宅で、国の重要文化財にも指定されている。茅葺き屋根の建物は、正面が入母屋造で背面が寄棟造。「にわ」と呼ばれる土間には、いつでも水が使えるように裏山から水を引いた流し場があるなど、当時の豪族の生活様式がうかがえる。広い板の間の「おえ」を利用して営業する「千古Cafe」は完全予約制で、コーヒーや十割そば、竹田の山菜料理などがおいしいと好評だ。6月の菖蒲園、紅葉期の国登録記念物の庭園もおすすめ。
天正4年(1576)、柴田勝家の甥である勝豊が築城。天守は2層3階建てで、上層に望楼があり、屋根は石瓦葺き。北陸地方で唯一の現存天守で、国の重要文化財に指定されている。天守の東北側にある「一筆啓上…」の石碑は、日本一短い手紙として有名。徳川家康の功臣・本多作左衛門重次が、陣中から妻にあてて書き送ったものだ。周囲は霞ヶ城公園として整備され、春には桜が咲き誇る名所。
5代朝倉義景が住んだ館跡。6400平方mにも及ぶ敷地には一面に礎石が広がり、16棟の建物があったことがわかる。入口の唐門は、義景の菩提を弔うため、慶長3年(1598)に建立された松雲院の寺門。現在の門は江戸中期に建てられたもの。
江戸~大正時代、廻船問屋などの商家が並んでいた界隈で、材木商を営んでいた新保屋岸名惣助の住居を公開。表構えはかぐら建て、屋内に通り庭や裏手に土蔵を配した三国の商家特有の造りだ。2階は往時の商人がたしなんだ俳諧や三国ゆかりの文学資料を紹介。
丸岡藩が沿岸警備のために築いた砲台跡で、越前松島の東方の海岸沿いにある。背丈ほどの高さに弓型の石垣が積み上げられている。このあたりは人が少ないので、美しい海岸風景を静かに堪能することができる。
瓜生家は大治4年(1129)以来、神明社の宮司を務めた由緒ある家柄。その住宅を神明社境内に移築したものだ。元禄12年(1699)に建てられた建物は入母屋妻入りの茅葺きで、柱や梁は木割が太く、堂々とした造り。福井県内に現存する民家では最古級といわれ、国の重要文化財に指定されている。
北庄城は、織田家一の武将・柴田勝家が築いた城で、9層の見事な天守閣を誇っていたが、天正11年(1583)、羽柴秀吉の軍に攻められ落城。勝家は自ら城に火を放ち、妻・お市の方とともに場内で自刃した。わずか8年余りで消えたため幻の名城ともいわれている。北の庄城址・柴田公園は北庄城の遺構の上にあり、勝家やお市の方、茶々・初・江の三姉妹の像のほか、北庄城に関する遺物や史料を展示する北の庄城址資料館が立つ。隣接する柴田神社には柴田勝家とお市の方を合祀。北の庄城址は令和元年(2019)に日本遺産に認定された。
縄文時代の遺跡が数多く残る若狭町にある公園。広大な敷地の中に、縄文時代を体感できる若狭三方縄文博物館「DOKIDOKI館」を中心に、野外ステージで各種イベントが行われる縄文コロセウムや野鳥観察小屋などがある。縄文広場には縄文時代の竪穴住居や縄文の森、環状列石等を再現し、縄文文化にふれることができる。また、パーク内には福井県年縞博物館がある。
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