立石岬灯台
半島の先端にある。日本人がはじめて設計から建設まで手がけた洋風灯台第1号で、今も現役で船を導いている。
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半島の先端にある。日本人がはじめて設計から建設まで手がけた洋風灯台第1号で、今も現役で船を導いている。
一乗谷朝倉氏遺跡内にあり、発掘された武家屋敷や町屋などが立体復原され当時の城下町の造りや人々の生活ぶりが見られる。
朝倉館跡を見下ろす山腹にある。4つある特別名勝朝倉氏庭園の中で最古のものと推測され、巨大な山石をふんだんに使った荒々しい石組が残る。室町時代に作られ、後世の改変を受けていない庭園(特別名勝)。
森田銀行は北前船主だった森田家が明治の中期に創業し、大正9年(1920)にこの社屋を竣工。県内に現存する鉄筋コンクリート造りとしては最古とされ、登録有形文化財に指定されている。内部には漆喰装飾や象嵌細工が施され、当時の職人技を見ることができる。
室町末期から江戸初期に建てられた中世地方豪族の坪川家の住宅で、国の重要文化財にも指定されている。茅葺き屋根の建物は、正面が入母屋造で背面が寄棟造。「にわ」と呼ばれる土間には、いつでも水が使えるように裏山から水を引いた流し場があるなど、当時の豪族の生活様式がうかがえる。広い板の間の「おえ」を利用して営業する「千古Cafe」は完全予約制で、コーヒーや十割そば、竹田の山菜料理などがおいしいと好評だ。6月の菖蒲園、紅葉期の国登録記念物の庭園もおすすめ。
眺望のよい杣山は、古くから北陸道の軍事拠点の城が築かれた場所。南北朝時代には南朝軍の拠点となり、新田義貞はこの城にたてこもり再起を図った。周辺は国の史跡に指定され、殿池や姫穴、犬戻り駒返しなどみどころが点在。頂上までの遊歩道をたどり、約1時間20分のハイキングが楽しめる。
朝倉時代最大の寺院跡。建物は現存しないが、ここでは旧参道沿いの石仏群を見ておきたい。笏谷石[しゃくだにいし]に彫られた阿弥陀如来などの40体近い石仏は、朝倉氏が繁栄していた1520~70年代のものが中心。高さ1.5~2mと大きく、表情豊かなものも見受けられる。この付近は石仏の里とよばれ、西山光照寺跡だけで1879点の石仏や石塔が発見されている。
約270年間、17代にわたり、越前松平家の繁栄の舞台となった福井城。慶長11年(1606)、初代福井藩主で徳川家康の次男・結城[ゆうき]秀康[ひでやす]によって築城された。当時は高さ約37m、4層5重もの雄大な天守閣と三重の堀をもっていたといわれる。現在残る遺構は堀の一部と石垣のみ。天守台下には福井の地名の由来にもなったという説もある井戸跡「福の井」もある。藩主専用の出入口であったとされている山里口御門が復元され、当時の様子を窺い知ることができる。令和元年(2019)5月には、日本遺産に認定された。
5代義景の側室・小少将[こしょうしょう]の館跡で、巨石を配した豪壮な庭園は遺跡の中でもっとも規模が大きい。室町時代に作られ、後世の改変を受けていない庭園(特別名勝)。
越前一乗谷5代城主の朝倉義景は天正元年(1573)、一乗谷の戦いで大野に逃れてきたが、一族の朝倉景鏡の裏切りで自害。墓は寛政12年(1800)に子孫によって建てられた五輪塔で、近くには家族や家臣の墓もある。周囲は公園として休憩所や湧水池が整備されており、春には桜の花見客がおとずれる。
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