性海寺
永徳元年(1381)に現在地に移転して以来、朝倉氏や福井藩主松平氏の祈願所となった真言宗の寺。三国の豪商森田家や新保の竹内家の墓があり、立ち並ぶ五輪塔が当時の商人の財力を物語る。
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永徳元年(1381)に現在地に移転して以来、朝倉氏や福井藩主松平氏の祈願所となった真言宗の寺。三国の豪商森田家や新保の竹内家の墓があり、立ち並ぶ五輪塔が当時の商人の財力を物語る。
お水送りの寺として有名だ。本堂(重要文化財)、仁王門(重要文化財)が立つ。木造男神・女神坐像(重要文化財、非公開)もある。春には桜、秋には紅葉が美しい。お水送り当日(3月2日)は入門自由だが、内陣には入れない。
霊亀2年(716)行基が女帝(上の元正天皇の所へ)元正天皇の勅願によって諸堂を建立したのが始まりと伝わる。本尊の十一面観音菩薩立像(重要文化財)は元正天皇の御等身として行基が彫ったとされており、彩色が残り女性的な表情をもつ美しい仏像。天皇の等身大に造られているという。現存する本堂は、文安4年(1447)に奥州十三湊(青森)を本拠地とする安倍(安藤)康季により再建されたもので、重要文化財に指定されている。
七堂伽藍の中心に位置する明治35年(1902)改築の国指定重要文化財。「覚皇宝殿」とも呼ばれ、二重屋根のように見える一重裳階付きの荘厳で美しい姿が印象的。国土安穏、万邦和楽を願う道場で、須弥壇には過去・現在・未来の三世を表す三世如来を安置。中央の本尊・釈迦牟尼仏が現世仏、本尊に向かって左側の阿弥陀如来が過去仏、右側の弥勒菩薩が未来仏となっている。
柴田勝家の菩提寺。秀吉軍に攻められ、北の庄城で命を絶つに先立ち、3人の姉妹の将来などを住職に託したと伝えられる。境内には勝家とお市の方の墓があり、勝家の自筆の書や刀剣、金の御幣の馬標[うまじるし]、明治7年(1874)に発掘された北の庄城の鬼瓦などを展示する柴田勝家公資料館(料金:入館300円、時間:12~16時※要予約)もある。
天保14年(1843)再建の江戸時代末期の建物で、一般の寺院の本堂にあたり、永平寺貫首の説法や毎朝の勤行、各種法要が行われている。国の重要文化財に指定されており、堂内は420畳敷と七堂伽藍の中では最大規模を誇る。中央の須弥壇に祀られているのは聖観世音菩薩。境内の最も高い位置にあるため、ここから見下ろす紅葉や冬の雪景色の景観は格別だ。
聖武天皇の勅願によって諸国に建立された国分寺の一つで、慶長15年(1610)建立の釈迦堂のみ現存し、本堂などは遺構が国指定の史跡となっている。木造薬師如来坐像(重要文化財)が安置される。
応安元年(1368)創建の浄土宗の古刹。御影堂(重要文化財)と阿弥陀堂(重要文化財)を渡廊下(重要文化財)で結ぶ本山格の迦藍配置は学術的に貴重なもの。絹本著色観経変相曼荼羅図(重要文化財)や西福寺一切経勧進経(重要文化財)など数多くの文化財が残されている。1400坪の書院庭園(名勝)は江戸中期の作で、極楽浄土を表しているといわれ、四季を通じて閑寂の趣が深い。その名勝庭園散策もここにしかない楽しみ方。
晩年の常高院(お初)が両親と夫・京極高次を弔うため発願して建立。4m以上もある常高院の墓石は350年以上たった現在も残っている。常高院に仕えていた7人の侍女の墓もある。
孝謙天皇の勅願によって眼病が治癒。木造薬師如来立像が本尊、ほかに木造月光菩薩立像、木造日光十一面観音菩薩立像などがある。いずれも国の重要文化財に指定されているが、なかでも日光十一面観音菩薩立像は日本密教定着以前のものとされ、歴史資料としても価値が高い。多田寺は出世薬師とも言われ、お金に恵まれる梵鐘があり、豊臣秀吉も鐘をついて長浜に築城が叶ったという。
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