永平寺 法堂
天保14年(1843)再建の江戸時代末期の建物で、一般の寺院の本堂にあたり、永平寺貫首の説法や毎朝の勤行、各種法要が行われている。国の重要文化財に指定されており、堂内は420畳敷と七堂伽藍の中では最大規模を誇る。中央の須弥壇に祀られているのは聖観世音菩薩。境内の最も高い位置にあるため、ここから見下ろす紅葉や冬の雪景色の景観は格別だ。
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天保14年(1843)再建の江戸時代末期の建物で、一般の寺院の本堂にあたり、永平寺貫首の説法や毎朝の勤行、各種法要が行われている。国の重要文化財に指定されており、堂内は420畳敷と七堂伽藍の中では最大規模を誇る。中央の須弥壇に祀られているのは聖観世音菩薩。境内の最も高い位置にあるため、ここから見下ろす紅葉や冬の雪景色の景観は格別だ。
親鸞の孫の如覚[にょかく]上人が弘安2年(1279)に開基した寺で、浄土真宗越前四箇寺本山の一つに数えられる。みどころは左甚五郎作と伝えられる駆け出しの竜が彫られた寺内最古の山門。あまりの精巧さに、鳥が恐れて近寄らないことから鳥不棲門[とりすまずのもん]とよばれている。
白山を開いた泰澄大師が、養老元年(717)に創建した古社。48社36堂の6000坊の坊舎をもち、白山信仰の一大拠点として栄華を極めたが、一向一揆で全山が焼失。現在は拝殿や本殿などの7つの社殿と、国の名勝の旧玄成院庭園[きゅうげんじょういんていえん]が残る。菩提林[ぼだいはやし]とよばれる老杉が約2kmにわたって続く参道は石畳を覆う苔が美しく、「日本の道百選」にも選ばれている。日本遺産。
全国で唯一といわれる紙の神様を祭る紙祖神岡太・大瀧神社は紙業界の総鎮守。和紙に関わる人々のみならず、印刷・出版関係者など紙に関わる多くの人々の信仰を集めている。権現山山頂の奥の院と麓の里宮から形成されている。
眼下に九頭竜川を望む曹洞宗の寺。永正年間(1504~1521)に創立、現在の建物は江戸末期に廻船問屋や土地の豪商が寄進したものだ。坂井市文化財指定の観音像や中国風の十六羅漢が並ぶ山門など静かながらみどころがいっぱい。
「おそんじゃさん」とよばれて親しまれている越前国の総社。古代の国司の仕事に、その国にある主な神社を毎年巡拝するというのがあったが、総社は神々を一ヵ所に集めて祭り、そこを参拝することで国内巡拝に代えようとしたもの。国府のあるところには必ず置かれていた神社で、境内には越前国府の石碑が立つ。古来から越前の代表的な神社として信仰を集め、その賑わいの様子は鎌倉時代の『一遍上人絵伝』に描かれている。
お水送りの寺として有名だ。本堂(重要文化財)、仁王門(重要文化財)が立つ。木造男神・女神坐像(重要文化財、非公開)もある。春には桜、秋には紅葉が美しい。お水送り当日(3月2日)は入門自由だが、内陣には入れない。
孝謙天皇の勅願によって眼病が治癒。木造薬師如来立像が本尊、ほかに木造月光菩薩立像、木造日光十一面観音菩薩立像などがある。いずれも国の重要文化財に指定されているが、なかでも日光十一面観音菩薩立像は日本密教定着以前のものとされ、歴史資料としても価値が高い。多田寺は出世薬師とも言われ、お金に恵まれる梵鐘があり、豊臣秀吉も鐘をついて長浜に築城が叶ったという。
七堂伽藍の中心に位置する明治35年(1902)改築の国指定重要文化財。「覚皇宝殿」とも呼ばれ、二重屋根のように見える一重裳階付きの荘厳で美しい姿が印象的。国土安穏、万邦和楽を願う道場で、須弥壇には過去・現在・未来の三世を表す三世如来を安置。中央の本尊・釈迦牟尼仏が現世仏、本尊に向かって左側の阿弥陀如来が過去仏、右側の弥勒菩薩が未来仏となっている。
晩年の常高院(お初)が両親と夫・京極高次を弔うため発願して建立。4m以上もある常高院の墓石は350年以上たった現在も残っている。常高院に仕えていた7人の侍女の墓もある。
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