永平寺 山門
江戸時代中期の寛延2年(1749)に再建された永平寺で2番目に古い建造物。修行僧にとっては修行のために入山する時と、修行後に下山する時だけ通れる特別な門で、国指定重要文化財。入母屋造、銅板葺きの二重門の下層階には、仏法の守護神である多聞天、持国天、広目天、増長天の四天王の像が、上層階には五百羅漢が祀られている。
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江戸時代中期の寛延2年(1749)に再建された永平寺で2番目に古い建造物。修行僧にとっては修行のために入山する時と、修行後に下山する時だけ通れる特別な門で、国指定重要文化財。入母屋造、銅板葺きの二重門の下層階には、仏法の守護神である多聞天、持国天、広目天、増長天の四天王の像が、上層階には五百羅漢が祀られている。
開基は享保6年(1721)。曹洞宗大本山永平寺の直末寺で、歴代鯖江藩主・間部家の菩提寺でもある。特に目を引くのは本堂の天井に描かれた墨絵。7代藩主の間部詮勝[まなべあきかつ]が描いた竜神、風神、雷神の3枚の墨絵は縦が5.4mほどもある大きなもので、大胆な構図と力強い筆遣いが迫力満点。いずれも市指定文化財。
柴田勝家の菩提寺。秀吉軍に攻められ、北の庄城で命を絶つに先立ち、3人の姉妹の将来などを住職に託したと伝えられる。境内には勝家とお市の方の墓があり、勝家の自筆の書や刀剣、金の御幣の馬標[うまじるし]、明治7年(1874)に発掘された北の庄城の鬼瓦などを展示する柴田勝家公資料館(料金:入館300円、時間:12~16時※要予約)もある。
広さ33万平方mにも及ぶ寺域は樹齢700年に及ぶ老杉に囲まれ、荘厳な雰囲気が漂う。境内には山門、仏殿、法堂[はっとう]、僧堂、庫院[くいん]、浴室、東司[とうす]の七堂伽藍をはじめ大小70余りの堂宇が配され、これらはすべて廻廊で結ばれている。参拝は左側通行を守り、順路に従って静かに歩こう。建物の撮影は構わないが、修行僧の生活空間である僧堂などに入ったり、カメラを修行僧に向けることは禁止。予約不要の日帰りや1泊2日の参禅体験(坐禅体験)もできる。
応安元年(1368)に通幻[つうげん]禅師が創建した曹洞宗の寺。府中本多家の菩提寺でもあり、初代富正をはじめとする代々の当主の五輪塔の墓がある。また、開山堂には江戸時代作の通幻禅師の木像、扉に葵の御紋入りの越前東照宮には、徳川家康、秀忠、結城秀康の三木像を安置する。
歴史上にも登場するお宮で、現在は“難関突破”と“恋の宮”として若者にも人気。桜の名所でもあり、毎年4月には男女が桜の造花を交換し合う恋のお祭り「花換祭」が開かれる。
霊亀2年(716)行基が女帝(上の元正天皇の所へ)元正天皇の勅願によって諸堂を建立したのが始まりと伝わる。本尊の十一面観音菩薩立像(重要文化財)は元正天皇の御等身として行基が彫ったとされており、彩色が残り女性的な表情をもつ美しい仏像。天皇の等身大に造られているという。現存する本堂は、文安4年(1447)に奥州十三湊(青森)を本拠地とする安倍(安藤)康季により再建されたもので、重要文化財に指定されている。
鎌倉~南北朝時代の武将、新田義貞を祭る神社。義貞が戦死したとされる燈明寺畷[とうみょうじなわて]の新田塚に建てられていたが、明治34年(1901)、現在の足羽山中腹に移された。藤寿殿には、義貞ゆかりの遺品や美術品を収蔵。義貞が使用したと伝わる鉄製銀象眼胄[てつせいぎんぞうがんかぶと]や結城宗広公御書簡など、国の重要文化財も数多い。
創建は永和元年(1375)。国の名勝に指定され、自然の地形を活かした築山式庭園は江戸中期の作といわれ、四季折々美しい姿を見せる。国宝の仏具・金銅毛彫宝相華文磬[こんどうけぼりほうそうげもんけい]などを展示する宝物殿(12月31日~1月1日休館)も見ておきたい。本堂・観音堂・山門・庫裏・鎮守堂・開山堂は重要文化財。重要文化財の地蔵菩薩図像・天之図は5・10月の各1ケ月間のみ展示。
小高い丘に立つ古社。境内には、山王権現と記した額や猿曳きの黒駒の絵馬などが掲げられた絵馬堂、拝殿がある。
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