
大師山清大寺(越前大仏)
昭和62年(1987)の創建。大仏殿に安置された越前大仏は身の丈17mと、奈良東大寺の大仏を上回る大きさだ。中国洛陽市の郊外にある龍門石窟の坐像をモデルに造られたもので、両側には羅漢像、菩薩像が鎮座する。また、北京市にある中国の国宝・九龍壁を模した九龍殿の装飾壁も見ておきたい。
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昭和62年(1987)の創建。大仏殿に安置された越前大仏は身の丈17mと、奈良東大寺の大仏を上回る大きさだ。中国洛陽市の郊外にある龍門石窟の坐像をモデルに造られたもので、両側には羅漢像、菩薩像が鎮座する。また、北京市にある中国の国宝・九龍壁を模した九龍殿の装飾壁も見ておきたい。
泰澄大師が養老5年(721)に、元正天皇の勅願を受け、阿弥陀堂を創建して開山されたといわれている古刹。暦応元年(1338)、南北朝時代の武将新田義貞は、越前の灯明寺畷(現:福井市新田塚)の戦いで戦死し、その首は京都へと運ばれたが、放置された亡骸は新田義貞と交友のあった称念寺住職によって手厚く葬られ、以後、新田義貞の菩提寺として知られるようになった。戦国時代には、越前朝倉家の下で浪人生活をしていた明智光秀が一時期門前で生活していたとも伝えられており、後に松尾芭蕉が詠んだ「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」は、この時の明智夫妻の生活ぶりを詠んだものといわれている。
創建は平安時代。平城天皇の夢のお告げで、京都黒谷から大野の黒谷に遷座。藩主をはじめ、庶民の厚い信仰を受けてきた。本尊の十一面観世音菩薩は延慎正人の作といわれ、黒谷観音として親しまれている。見逃せないのは、2代藩主・土井利治が奉納した3枚の絵馬。18世紀初めに描かれた古い絵馬で、いきいきとした白馬が印象的。観音堂裏には子宝に恵まれるという「かわそさん」、なで仏のおびんづる様などがあり、境内で88カ所巡りができる。令和3年(2021)秘仏開帳。
昔から漁師の守り神として信仰を集める観音様。本尊の十一面観音が安置されている。像は唐様式で、泰澄大師の作といわれる。
寂円禅師が弘長元年(1261)に開山した古刹で、現在境内に立つ本堂は昭和4年(1929)に再建されたもの。永平寺に次いで日本曹洞第二道場として知られ、禅修行の場として門戸を開放、一般の人も禅修行の体験ができる。また、山門の前には、江戸中期の民家の面影を伝える国の重要文化財の旧橋本家がある。
白山を開いた泰澄大師が、養老元年(717)に創建した古社。48社36堂の6000坊の坊舎をもち、白山信仰の一大拠点として栄華を極めたが、一向一揆で全山が焼失。現在は拝殿や本殿などの7つの社殿と、国の名勝の旧玄成院庭園[きゅうげんじょういんていえん]が残る。菩提林[ぼだいはやし]とよばれる老杉が約2kmにわたって続く参道は石畳を覆う苔が美しく、「日本の道百選」にも選ばれている。日本遺産。
開基は享保6年(1721)。曹洞宗大本山永平寺の直末寺で、歴代鯖江藩主・間部家の菩提寺でもある。特に目を引くのは本堂の天井に描かれた墨絵。7代藩主の間部詮勝[まなべあきかつ]が描いた竜神、風神、雷神の3枚の墨絵は縦が5.4mほどもある大きなもので、大胆な構図と力強い筆遣いが迫力満点。いずれも市指定文化財。
聖徳太子創建と伝えられる古刹。北陸三十三観音霊場の2番札所、及び若狭三十三観音霊場の30番札所。頭上に馬頭をいただき、憤怒の形相で右膝を立てた馬頭観世音菩薩坐像(重要文化財・秘仏)を本尊として祭る。本堂右手には、五輪塔や数百体の石仏がひっそりとたたずむ。桜や紅葉の名所としても有名。
孝謙天皇の勅願によって眼病が治癒。木造薬師如来立像が本尊、ほかに木造月光菩薩立像、木造日光十一面観音菩薩立像などがある。いずれも国の重要文化財に指定されているが、なかでも日光十一面観音菩薩立像は日本密教定着以前のものとされ、歴史資料としても価値が高い。多田寺は出世薬師とも言われ、お金に恵まれる梵鐘があり、豊臣秀吉も鐘をついて長浜に築城が叶ったという。
「おそんじゃさん」とよばれて親しまれている越前国の総社。古代の国司の仕事に、その国にある主な神社を毎年巡拝するというのがあったが、総社は神々を一ヵ所に集めて祭り、そこを参拝することで国内巡拝に代えようとしたもの。国府のあるところには必ず置かれていた神社で、境内には越前国府の石碑が立つ。古来から越前の代表的な神社として信仰を集め、その賑わいの様子は鎌倉時代の『一遍上人絵伝』に描かれている。
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