瑞雲山 金鳳寺
眼下に九頭竜川を望む曹洞宗の寺。永正年間(1504~1521)に創立、現在の建物は江戸末期に廻船問屋や土地の豪商が寄進したものだ。坂井市文化財指定の観音像や中国風の十六羅漢が並ぶ山門など静かながらみどころがいっぱい。
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眼下に九頭竜川を望む曹洞宗の寺。永正年間(1504~1521)に創立、現在の建物は江戸末期に廻船問屋や土地の豪商が寄進したものだ。坂井市文化財指定の観音像や中国風の十六羅漢が並ぶ山門など静かながらみどころがいっぱい。
開基は享保6年(1721)。曹洞宗大本山永平寺の直末寺で、歴代鯖江藩主・間部家の菩提寺でもある。特に目を引くのは本堂の天井に描かれた墨絵。7代藩主の間部詮勝[まなべあきかつ]が描いた竜神、風神、雷神の3枚の墨絵は縦が5.4mほどもある大きなもので、大胆な構図と力強い筆遣いが迫力満点。いずれも市指定文化財。
江戸時代中期の寛延2年(1749)に再建された永平寺で2番目に古い建造物。修行僧にとっては修行のために入山する時と、修行後に下山する時だけ通れる特別な門で、国指定重要文化財。入母屋造、銅板葺きの二重門の下層階には、仏法の守護神である多聞天、持国天、広目天、増長天の四天王の像が、上層階には五百羅漢が祀られている。
天保14年(1843)再建の江戸時代末期の建物で、一般の寺院の本堂にあたり、永平寺貫首の説法や毎朝の勤行、各種法要が行われている。国の重要文化財に指定されており、堂内は420畳敷と七堂伽藍の中では最大規模を誇る。中央の須弥壇に祀られているのは聖観世音菩薩。境内の最も高い位置にあるため、ここから見下ろす紅葉や冬の雪景色の景観は格別だ。
親鸞の孫の如覚[にょかく]上人が弘安2年(1279)に開基した寺で、浄土真宗越前四箇寺本山の一つに数えられる。みどころは左甚五郎作と伝えられる駆け出しの竜が彫られた寺内最古の山門。あまりの精巧さに、鳥が恐れて近寄らないことから鳥不棲門[とりすまずのもん]とよばれている。
承応2年(1653)、松岡藩主の松平昌勝が祖母を弔うため建立、のち昌勝の菩提寺に。境内には本堂や枯木堂(禅堂)などがある。松尾芭蕉ゆかりの寺としても知られ、『奥の細道』道中で宿泊したことにちなんだ芭蕉塚と筆塚が立つ。
長享2年(1488)に建立された、天台真盛宗別格本山。十六羅漢や滝上りする鯉など、彫刻が施された総ケヤキ造りの山門は一見の価値がある。広々とした境内には笏谷石[しゃくだにいし]に彫られた30体の石仏、高さ3mもある不動明王と地蔵菩薩があり、寺宝として鎌倉時代に書かれたという『往生要集』を所蔵している。
七堂伽藍の中心に位置する明治35年(1902)改築の国指定重要文化財。「覚皇宝殿」とも呼ばれ、二重屋根のように見える一重裳階付きの荘厳で美しい姿が印象的。国土安穏、万邦和楽を願う道場で、須弥壇には過去・現在・未来の三世を表す三世如来を安置。中央の本尊・釈迦牟尼仏が現世仏、本尊に向かって左側の阿弥陀如来が過去仏、右側の弥勒菩薩が未来仏となっている。
泰澄大師が養老5年(721)に、元正天皇の勅願を受け、阿弥陀堂を創建して開山されたといわれている古刹。暦応元年(1338)、南北朝時代の武将新田義貞は、越前の灯明寺畷(現:福井市新田塚)の戦いで戦死し、その首は京都へと運ばれたが、放置された亡骸は新田義貞と交友のあった称念寺住職によって手厚く葬られ、以後、新田義貞の菩提寺として知られるようになった。戦国時代には、越前朝倉家の下で浪人生活をしていた明智光秀が一時期門前で生活していたとも伝えられており、後に松尾芭蕉が詠んだ「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」は、この時の明智夫妻の生活ぶりを詠んだものといわれている。
寂円禅師が弘長元年(1261)に開山した古刹で、現在境内に立つ本堂は昭和4年(1929)に再建されたもの。永平寺に次いで日本曹洞第二道場として知られ、禅修行の場として門戸を開放、一般の人も禅修行の体験ができる。また、山門の前には、江戸中期の民家の面影を伝える国の重要文化財の旧橋本家がある。
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