
西山光照寺跡
朝倉時代最大の寺院跡。建物は現存しないが、ここでは旧参道沿いの石仏群を見ておきたい。笏谷石[しゃくだにいし]に彫られた阿弥陀如来などの40体近い石仏は、朝倉氏が繁栄していた1520~70年代のものが中心。高さ1.5~2mと大きく、表情豊かなものも見受けられる。この付近は石仏の里とよばれ、西山光照寺跡だけで1879点の石仏や石塔が発見されている。
- 「一乗谷駅」から徒歩4分
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朝倉時代最大の寺院跡。建物は現存しないが、ここでは旧参道沿いの石仏群を見ておきたい。笏谷石[しゃくだにいし]に彫られた阿弥陀如来などの40体近い石仏は、朝倉氏が繁栄していた1520~70年代のものが中心。高さ1.5~2mと大きく、表情豊かなものも見受けられる。この付近は石仏の里とよばれ、西山光照寺跡だけで1879点の石仏や石塔が発見されている。
5代義景の側室・小少将[こしょうしょう]の館跡で、巨石を配した豪壮な庭園は遺跡の中でもっとも規模が大きい。室町時代に作られ、後世の改変を受けていない庭園(特別名勝)。
松平春嶽に認められ藩政に参画したが、安政の大獄により26歳の若さで処刑された橋本左内。左内公園には、左内と両親の墓、左内が15歳のときに著した『啓発録』の碑がある。凛と立つ左内の銅像は、昭和38年(1963)、市民の寄付により建立されたもの。10月7日の命日には、左内公園で墓前祭が行われ、多くの市民が参列する。
市の南西部、兎越山[おさごえやま]の麓にある緑に囲まれた古民家園。3700平方mの敷地には、江戸時代に建てられた古民家等6棟のほか、土蔵・灰小屋・外便所などを移築・復原。市指定文化財となっている。3棟の民家は越前中部や大野盆地に広く分布していた妻入りで、土間と台所(居間)を十文字の太い梁で一つの空間とする越前地方特有の型だ。家の中には家具や生活用品が置かれ、当時の人々の暮らしぶりが見てとれる。
江戸中期に建てられたこの門は、朝倉館跡の入口に位置している。義景の菩提を弔うために建立されたと伝えられる松雲院の寺門で、外側には朝倉家の家紋が刻まれている。
朝倉氏の城下町として栄華を極めていた一乗谷は、天正元年(1573)織田信長の攻撃にあい滅亡。昭和42年(1967)から館跡や武家屋敷などが本格的に発掘され、現在278万平方mの範囲が特別史跡に指定されている。遺跡内の4つの庭園は国の特別名勝。一般的な見学コースは、復原町並~朝倉館跡~湯殿跡庭園~中の御殿跡~諏訪館跡庭園。所要1時間。
一乗谷朝倉氏遺跡内にあり、発掘された武家屋敷や町屋などが立体復原され当時の城下町の造りや人々の生活ぶりが見られる。
5代朝倉義景が住んだ館跡。6400平方mにも及ぶ敷地には一面に礎石が広がり、16棟の建物があったことがわかる。入口の唐門は、義景の菩提を弔うため、慶長3年(1598)に建立された松雲院の寺門。現在の門は江戸中期に建てられたもの。
養浩館庭園はかつての福井藩主松平家の別邸。この優雅な書院建築の屋敷を取り巻く回遊式林泉庭園は、江戸時代を代表する名園として知られていたが、昭和20年(1945)、建物や樹木を福井大空襲で焼失。その後、国の名勝に指定されたのを機に、文政6年(1823)の古図をもとに建物と庭園が復元された。広大な池を中心に築山や入江などを配した優美な庭園が蘇った。また麻の葉模様を透彫にした欄間のある主座敷の御座ノ間や、池に映る月を見るための雲窓の出書院がある御月見ノ間なども見ごたえ充分。
室町時代に作られ、後世の改変を受けていない庭園(特別名勝)。庭園は朝倉館跡の北の高台にある。南陽寺は3代貞景[さだかげ]が娘のために再興した尼寺で、将軍足利義昭を迎えた花見の宴が催された。
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