
光照寺
良寛が18歳のとき仏門に入る決心をし、住職玄乗破了[げんじょうはりょう]和尚により剃髪を受けた寺。名を良寛と改め大愚[たいぐ]と号し、備中玉島の円通寺へ旅立つまでの4年間をここで修業をした。
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良寛が18歳のとき仏門に入る決心をし、住職玄乗破了[げんじょうはりょう]和尚により剃髪を受けた寺。名を良寛と改め大愚[たいぐ]と号し、備中玉島の円通寺へ旅立つまでの4年間をここで修業をした。
梅護寺には越後七不思議のうち、2つが存在する。そのひとつ「珠数掛ザクラ」は、親鸞聖人が出立の際、手にしていた数珠を桜の枝に掛け仏法を説えたところ、毎年数珠の房のように花が垂れ下がって咲くようになったといわれており、国の天然記念物である。また、「八ツ房の梅」は、この地に滞在中の親鸞聖人が梅干の種を植え、歌を詠んだところ翌年芽が出て、枝葉が茂りやがて薄紅の八重の花が咲き一つの花に実が芽を出し、花が咲き実が八つずつできるようになったといわれている。
日本海を見下ろす眺望の地に立つ寺泊の総鎮守。江戸時代から船乗りたちが海上安全を願って船絵馬を奉納してきた。船の構造や帆印、船員なども描かれたこの船絵馬は、北前船造船史、航海史などの貴重な資料として、国の重要民俗文化財となっている。境内の船絵馬収蔵庫に50種類、52枚が保存されている(絵馬収蔵庫拝観は要予約)。
越後4カ道場の一つとして信仰を集めてきた曹洞宗の名刹。楠木正成の直孫、傑堂能勝禅師が応永10年(1403)に開いたとされる。参道の500mにわたって県天然記念物に指定されている樹齢300~500年といわれる杉並木が続く。本堂・庫裏・禅堂および衆寮・山門・回廊・経蔵の6棟が国の登録有形文化財に指定されている。
大同2年(807)、坂上田村麻呂[さかのうえたむらまろ]が創建し毘沙門天を祭ったと伝わる。毘沙門堂は12.6m四面の堂で四方に縁がある。楼門は日光東照宮の陽明門にならったという総ケヤキ造り。毎年3月第一土曜にはご利益のある札を奪い合う、裸押合い祭り(国の重要無形民俗文化財)が開催され、前日の17時30分から大ローソクの献火などの前夜祭がある。
栃尾又温泉自在館の裏手にある小さなお薬師様。手前に子持杉と呼ばれる大きなスギの木が立っている。スギは根元がつながっていて、ここをまたぐと子宝が授かるといわれる。薬師堂には子宝祈願の人が供えたキューピー人形があふれている。
奈良時代の創建と伝えられ、「蔵王様」[ざおうさま]と親しまれた中越の総鎮守として信仰を集めた。境内には樹齢700~800年の大欅や蔵王堂城跡がある。毎年7月15日に大祭の流鏑馬[やぶさめ]、11月5日の王神祭[おうじんさい](県無形民俗文化財)が行われる。
周辺に老杉・老松が茂る、国上山[くがみやま]中腹にある真言宗の名刹。和銅2年(709)創建。本尊は、行基菩薩の作と伝わる阿弥陀如来像。境内には酒呑童子の鏡井戸、義経ゆかりの六角堂など伝説の残る史跡が多い。現在の伽藍は客僧萬元上人により、享保3年(1718)に再建されたもの。
室町時代末期に創建された曹洞宗の古刹。幕末期に大龍和尚によって建立された開山堂の内外には、名匠石川雲蝶の彫刻、絵画、しっくい細工の数々が施されている。その出来映えは日光東照宮にも匹敵すると言われ「越後日光開山堂」の異名を持つ。特に雲蝶終生の大作といわれる天井の大彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」は息をのむ迫力だ。石川雲蝶作品郡、新潟県文化財。
室町時代後期の開山と伝えられ、石川雲蝶の彫工や絵画が100点以上ある。なかでも両面彫りの天女像など欄間に刻まれた35点の浮き彫りは見ておきたい。
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