
宝光寺
安土桃山時代の開基で、新発田藩主溝口家の菩提寺。本堂裏には、苔むした歴代藩主夫妻の大きな墓塔20数基が整然と並ぶ。淨見堂には歴代藩主の肖像画12幅(市指定文化財)などの寺宝を展示。
- 「新発田駅」から徒歩9分
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安土桃山時代の開基で、新発田藩主溝口家の菩提寺。本堂裏には、苔むした歴代藩主夫妻の大きな墓塔20数基が整然と並ぶ。淨見堂には歴代藩主の肖像画12幅(市指定文化財)などの寺宝を展示。
奈良時代の創建と伝えられ、「蔵王様」[ざおうさま]と親しまれた中越の総鎮守として信仰を集めた。境内には樹齢700~800年の大欅や蔵王堂城跡がある。毎年7月15日に大祭の流鏑馬[やぶさめ]、11月5日の王神祭[おうじんさい](県無形民俗文化財)が行われる。
日蓮宗の霊場の一つ。佐渡遠流を赦免された日蓮聖人が八幡大菩薩に導かれ番神岬に上陸、真言宗であった番神堂を日蓮宗に改宗した。八幡大菩薩など30番神を勧請したのが始まりという。明治10年(1877)に再建された堂の外回りには鳳凰と桐、水と亀など桃山風の彫刻がある。
永承4年(1053)の創建で、越後三十三観音の一つ。その境内の眼下に海を望む高台には、良寛が生涯で3度ほど移り住んだことがある密蔵院がある。平屋建のひっそりとしたたたずまいの庵で、托鉢に出たり、掃除をしたりと良寛芸術が開花する前の一時期を過ごした。数多く残された詩や歌が、ここでの簡素な暮らしぶりを伝えている。
良寛が18歳のとき仏門に入る決心をし、住職玄乗破了[げんじょうはりょう]和尚により剃髪を受けた寺。名を良寛と改め大愚[たいぐ]と号し、備中玉島の円通寺へ旅立つまでの4年間をここで修業をした。
かつての豪農・斉藤家の屋敷で、池泉回遊式の大庭園がある。親鸞ゆかりの越後七不思議の一つ「保田の三度栗」の年に3度実がなるという伝説が残る。
曹洞宗の古刹で、本堂は新潟県文化財に指定されている。上杉景勝と直江兼続が「喜平次」「与六」と呼ばれていた幼少期に、名僧北高全祝[ほっこうぜんしゅく]や通天存達[つうてんそんたつ]から学問や名将となる基礎を学んだ。赤門から本堂までの石畳の下に法華経が記された小石が埋められており、踏みしめてお参りをすると利益に預かると伝えられている。また宝物殿には上杉家ゆかりの品を展示している。
座禅体験(志納1000円~)は住職の説法を含め、所要約2時間。戦国時代の戦火の際、味噌桶に収めた600巻の経典が焼失を免れたことから、「関興寺の味噌なめたか」の言葉が誕生。現在も参拝者はご利益があるとされる味噌をなめる。関興寺味噌500円。
周辺に老杉・老松が茂る、国上山[くがみやま]中腹にある真言宗の名刹。和銅2年(709)創建。本尊は、行基菩薩の作と伝わる阿弥陀如来像。境内には酒呑童子の鏡井戸、義経ゆかりの六角堂など伝説の残る史跡が多い。現在の伽藍は客僧萬元上人により、享保3年(1718)に再建されたもの。
鎌倉時代、永仁5年(1297)日蓮の孫弟子日印によって開山され、大本堂と七堂伽藍が壮麗に立ち並び、塔頭10カ院が守る。厄よけ開運を祈る「節分大祈願会」の鬼おどりは、多勢の参詣者でにぎわう。越後のミケランジェロ石川雲蝶の墓と、彫刻群があることでも有名。
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