見玉不動尊
眼病にご利益があると語り継がれている不動明王を祭る古刹。この本尊・不動明王は、平家の守護仏だったもので、壇ノ浦で平家滅亡後、家臣の宮本清左ェ門が見玉村に安置したといわれている。滝の小石を拾って目をなでると眼病が快癒するとの言い伝えがあり、全国各地から目の健康を願う人たちが参詣に訪れる。『秋山記行』を著した鈴木牧之[すずきぼくし]が秋山郷の1泊目をとった寺であり、当書には正法院の庫裏[くり]のことが詳しく描かれている。
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眼病にご利益があると語り継がれている不動明王を祭る古刹。この本尊・不動明王は、平家の守護仏だったもので、壇ノ浦で平家滅亡後、家臣の宮本清左ェ門が見玉村に安置したといわれている。滝の小石を拾って目をなでると眼病が快癒するとの言い伝えがあり、全国各地から目の健康を願う人たちが参詣に訪れる。『秋山記行』を著した鈴木牧之[すずきぼくし]が秋山郷の1泊目をとった寺であり、当書には正法院の庫裏[くり]のことが詳しく描かれている。
御祭神は天照大御神の曾孫にあたる天香山命[あめのかごやまのみこと]。神武東征の折、紀州熊野で敵の毒気に当てられ苦境に陥った天皇に布都御魂剣[ふつのみたまのつるぎ]を献じて危機を救ったことから起死回生・厄難消除の神と謂われる。天皇即位後は越の国開拓の勅命を受けて当地に来臨され、民に稲作・漁業・製塩・酒造などの技を授け、県内産業の基を築いた諸産業の神。古来より皇室を始め歴代の幕府・武将の尊崇篤く、今も「おやひこさま」の敬称にて広く崇敬されている。現在の社殿は明治末の大火後、大正5年(1916)に再建された。
奈良時代の創建と伝えられ、「蔵王様」[ざおうさま]と親しまれた中越の総鎮守として信仰を集めた。境内には樹齢700~800年の大欅や蔵王堂城跡がある。毎年7月15日に大祭の流鏑馬[やぶさめ]、11月5日の王神祭[おうじんさい](県無形民俗文化財)が行われる。
室町時代後期の開山と伝えられ、石川雲蝶の彫工や絵画が100点以上ある。なかでも両面彫りの天女像など欄間に刻まれた35点の浮き彫りは見ておきたい。
陸海の交通安全の守護神として信仰を集めてきた、佐渡一の宮。羽茂川に架かる朱色の欄干の妹背橋[いもせばし]を渡ると一の鳥居、二の鳥居とつづく。
文永9年(1272)日蓮聖人は塚原三昧堂(根本寺)からここに移され、在島の大部分を過ごした。『観心本尊抄』[かんじんほんぞんしょう]や『十界曼陀羅』[じっかいまんだら]を著し、教義を確立した霊跡。大きな茅葺きの本堂前には日蓮聖人の腰掛け石がある。
日蓮聖人が毎日朝日を拝んで、父母を追慕したといわれる地に建てられた寺。日蓮聖人の袈裟掛けの松や千年杉がそそり立つ。長谷川左近作の三番叟[さんばんそう]絵馬は寛永元年作で日本最古のもの。
良寛が18歳のとき仏門に入る決心をし、住職玄乗破了[げんじょうはりょう]和尚により剃髪を受けた寺。名を良寛と改め大愚[たいぐ]と号し、備中玉島の円通寺へ旅立つまでの4年間をここで修業をした。
室町時代末期に創建された曹洞宗の古刹。幕末期に大龍和尚によって建立された開山堂の内外には、名匠石川雲蝶の彫刻、絵画、しっくい細工の数々が施されている。その出来映えは日光東照宮にも匹敵すると言われ「越後日光開山堂」の異名を持つ。特に雲蝶終生の大作といわれる天井の大彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」は息をのむ迫力だ。石川雲蝶作品郡、新潟県文化財。
加茂湖東岸の小高い丘にあり、加茂湖の夕焼けが眺望できる。境内の能舞台では8月を除く5~10月に古式ゆかしい薪能[たきぎのう]が演じられる。舞台はふだんは戸が閉めてあるが、外観は見学自由。
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