
西福寺(開山堂)
室町時代末期に創建された曹洞宗の古刹。幕末期に大龍和尚によって建立された開山堂の内外には、名匠石川雲蝶の彫刻、絵画、しっくい細工の数々が施されている。その出来映えは日光東照宮にも匹敵すると言われ「越後日光開山堂」の異名を持つ。特に雲蝶終生の大作といわれる天井の大彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」は息をのむ迫力だ。石川雲蝶作品郡、新潟県文化財。
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室町時代末期に創建された曹洞宗の古刹。幕末期に大龍和尚によって建立された開山堂の内外には、名匠石川雲蝶の彫刻、絵画、しっくい細工の数々が施されている。その出来映えは日光東照宮にも匹敵すると言われ「越後日光開山堂」の異名を持つ。特に雲蝶終生の大作といわれる天井の大彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」は息をのむ迫力だ。石川雲蝶作品郡、新潟県文化財。
大同2年(807)、坂上田村麻呂[さかのうえたむらまろ]が創建し毘沙門天を祭ったと伝わる。毘沙門堂は12.6m四面の堂で四方に縁がある。楼門は日光東照宮の陽明門にならったという総ケヤキ造り。毎年3月第一土曜にはご利益のある札を奪い合う、裸押合い祭り(国の重要無形民俗文化財)が開催され、前日の17時30分から大ローソクの献火などの前夜祭がある。
古くから周辺随一の霊場として崇められてきた越後屈指の古刹。高野山で修行を積み、貞治2年(1363)に西生寺草庵で即身仏となった、弘智法印[こうちほういん]の日本最古の即身仏が安置されている。親鸞[しんらん]上人や松尾芭蕉も参詣した。
日本海を見下ろす眺望の地に立つ寺泊の総鎮守。江戸時代から船乗りたちが海上安全を願って船絵馬を奉納してきた。船の構造や帆印、船員なども描かれたこの船絵馬は、北前船造船史、航海史などの貴重な資料として、国の重要民俗文化財となっている。境内の船絵馬収蔵庫に50種類、52枚が保存されている(絵馬収蔵庫拝観は要予約)。
栃尾又温泉自在館の裏手にある小さなお薬師様。手前に子持杉と呼ばれる大きなスギの木が立っている。スギは根元がつながっていて、ここをまたぐと子宝が授かるといわれる。薬師堂には子宝祈願の人が供えたキューピー人形があふれている。
謙信公によって創建された曹洞宗の古刹。上杉家の手厚い保護を受けてきたといわれる。謙信公が愛用したとされる兜の前立(長岡市文化財)、謙信公筆五言対句(新潟県文化財)など、ゆかりの寺宝を有する。
親鸞によって創建された名刹。御本廟には親鸞聖人の頂骨を納めている。入母屋造の本堂は間口29m、新潟県下最大規模の浄土真宗寺院建築となっており、国の重要文化財に指定されている。宝物館では貴重な文化財を多数展示。
上杉謙信公の祖父長尾能景[よしかげ]が、長尾家の菩提所として創建した寺。謙信公はここで学問を修め、禅を学んだ。上杉氏後の春日山城主堀氏、高田城主松平、榊原氏の菩提所。宝物館には謙信公の遺品や上杉軍旗一式、その他各城主縁のものを展示している。
天平年間(729~749)に創設された越後の国分寺。永禄5年(1562)上杉謙信の再興と伝わる。安政3年(1856)建立で、高さ25mの三重塔には十二支の彫刻が施され、伽藍は未完ながら県の文化財に指定。本堂は焼失したが、平成9年に再建された。境内には親鸞聖人が流罪生活を送った竹之内草庵があり、自作の等身大の木像が安置されている。
童話作家小川未明[おがわみめい]の父、旧高田藩士小川澄晴[すみはる]が浄財を募り、上杉謙信をまつるため創建した神社。神明造の社殿は1901年(明治34)の建築。境内の宝物館では、軍旗「毘」[び]など謙信の遺品や、小川未明の資料などを展示。
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