
村上神社
蒲田[がまだ]川をはさんで栃尾温泉の対岸にある、奥飛騨温泉郷の総鎮守社。福地温泉で静養したと伝えられる、第62代村上天皇を祭る。境内には、槍ケ岳と笠ケ岳を開山した播隆上人ゆかりの播隆塔が立つ。毎年5月10日には村上神社例祭や播隆祭が行われる。境内の大杉も必見。
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蒲田[がまだ]川をはさんで栃尾温泉の対岸にある、奥飛騨温泉郷の総鎮守社。福地温泉で静養したと伝えられる、第62代村上天皇を祭る。境内には、槍ケ岳と笠ケ岳を開山した播隆上人ゆかりの播隆塔が立つ。毎年5月10日には村上神社例祭や播隆祭が行われる。境内の大杉も必見。
寛永9年(1632)に創建の臨済宗の名刹。本堂の建物は禅宗様式と唐様式が混交した重厚な構えが特徴で、高山城から移築したという石垣の上に立っている。また、山岡鉄舟がこの寺で禅学を修めたといわれ、境内にはその鉄舟の碑や鉄舟の両親の墓がある。
初代藩主の金森長近が天正13年(1585)に城下町を造営する際、浄土真宗の門徒の中心道場として建てられた寺。その後幾度か火災に遭い、現在の本堂は昭和39年(1964)に再建されたもの。寺宝館(希望すれば拝観は可能だが、15時まで。無料)には親鸞[しんらん]上人の一代記を描いた絵など、貴重な宝物100点余りが展示されている。また、庫裡は飛騨随一の豪農であった杉下家の民家を移築したものだ。
飛騨国式内八社に数えられる古社。本殿(重要文化財、日本遺産構成文化財)は明徳元年(1390)建立と伝わり、禅宗様、大仏様、和様の三様式を巧みに組み合わせたもの。毎年9月第1日曜に行われる秋の例祭では、20~30人の少年が鉦[かね]と太鼓を打ち鳴らしながら踊る鉦打や獅子舞がみもので、多くの観光客が訪れる。
鎌倉時代末期、正和2年(1313)の創建。夢窓疎石(国師)を開創、仏徳禅師を開山とする名刹。観音堂と開山堂は国宝、夢窓疎石(国師)作の池泉回遊式庭園は国の名勝に指定。開山堂は、神社建築様式の一つである権現造の原型といわれる。11月中旬~下旬が見ごろの紅葉の季節は特に美しい。修行寺のため、10人以上での見学には予約が必要。
御祭神・菅原道真公は学問・文化芸術・厄除けの神様として広く崇敬されている。飛騨の天神様として多くの参拝者が訪れる。天神様のお遣いである牛の石像が見どころ。春には境内全体が梅花で彩られる。合格祈願絵馬・願掛け撫で牛・開運厄除け割符が好評。檜[ヒノキ]で作られた特別仕様の御朱印も「木の国飛騨高山」らしいと人気を集めている。
清峯寺境内にあるお堂。円空が清峯寺に滞在した折、独自の鉈[なた]はつり手法で一刀彫りした十一面千手観音菩薩像、龍頭観音菩薩像、聖観音菩薩像の3体(いずれも岐阜県の重要文化財)を安置。どれも円空の傑作として名高く、海外の展覧会にも出品されている。拝観は要予約。
江戸時代の宝暦年間、薩摩藩が幕府の命により行った木曽三川の治水工事は、5年というわずかな期間に80名以上の犠牲を出すなど、非常に困難な事業だった。この事業によりつくられた揖斐川と長良川の背割堤に、工事完了の直後、薩摩藩士が涙とともに植えた松が、約1kmの美しい松並木になっている。工事の全責任をとり切腹した平田靱負を祭神とする治水神社もあり、春と秋に薩摩義士を偲ぶ例大祭が行われる。
天平13年(741)聖武天皇の勅願によって全国68カ所に建てられた国分寺跡の中でも、寺域全体が残っている全国屈指の存在。寺域2町四方(4ha)にかつて建ち並んでいた南門、中門、金堂、講堂、回廊、七重塔などの七堂伽藍が、礎石や生け垣などで当時の位置や規模そのままに平面整備されており、実物大のスケールを体感できる。隣接の歴史民俗資料館(入館料100円、18歳未満無料)では、柱や瓦などの出土品や模型で国分寺の歴史を紹介している。
鉈[なた]彫りの素朴な仏像で知られる江戸初期の僧・円空が、1年間逗留した臨済宗の古寺。円空晩年の傑作という聖観音など、17体が安置されている。拝観の条件は時期によって変わる可能性があるので、事前の問合せが必要。
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